Monthly Archives: 4月 2015

情報誌『ばろっくざーる』Vol.51を刊行しました!

情報誌『ばろっくざーる』Vol. 51が刊行されました!
今号は、3月7日に執り行われた「2014年度青山音楽賞授賞式」の模様や、受賞者の方々へのインタビューを掲載しています。受賞者インタビューでは、普段見ることのない、音楽家さんたちの素顔に迫ったとても楽しい内容となっています。
連載『わたしはメロマーヌ』では、ドイツ文学者の國重裕(くにしげゆたか)さんをお招きして、お気に入りの作曲家との出会いについて語って頂いています。

どうぞご覧ください!

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情報誌『ばろっくざーる』Vol. 51 表面(PDF)

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情報誌『ばろっくざーる』Vol. 51 中面(PDF)

2014年度青山音楽賞 受賞者インタビュー⑦ 村松稔之さん(カウンターテナー・新人賞)

2014年度青山音楽賞受賞者インタビューの最終回は村松稔之(むらまつとしゆき)さんです。
新人賞を受賞された村松さんは「カンターテナー」、つまり女声のように高い音域の声を出すことの出来る歌い手さんです。

村松稔之さん(カウンターテナー・新人賞)
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――受賞おめでとうございます!

村松稔之さん(以下敬称略):実はもう『受賞出来なかった』と思って諦めてたんです。もう一度チャレンジしようと思って、次のリサイタルのホール申し込みをしたくらいです(笑)
申し込みをした2日後にバロックザールからお電話を頂きました。ホール申し込みをした直後だったので、最初は『次の演奏会の打ち合わせかな?』と思って電話に出ました。そうしたら「青山音楽賞受賞おめでとうございます・・・」と仰るので『何を言ってはるんやろう・・・』と思いました。
ですから受賞のニュースを聞いた時は「えええええ!!!」って叫びましたし、震えが止まりませんでした。

――実はわたしもその電話の横にいたのですが、よく覚えています。村松君、本当に叫んでいましたよね(笑)

村松:びっくりしましたね。自分が取れるとは思ってなかったので本当に嬉しかったです。

――なぜリサイタルを企画したのですか?

村松:僕、バロックザールでリサイタルをしたのは今回で2回目だったのです。1回目は小林道夫先生(※)に伴奏をお願いして、2年前に演奏会をしました。
(※小林道夫氏・・・チェンバロ・フォルテピアノ奏者、J.S. バッハ解釈の第一人者として知られる)

――小林先生!すごいですね。

村松:東京藝大の学部時代に「バッハ・カンタータクラブ」でクラブ活動をしていたのですが、そこで小林先生と出会いました。先生にはレッスンをよくして頂いたのですが、ある日「もし君がリサイタルをするなら伴奏するよ」と言ってくださったのです。僕はそれを真に受けたんですよ。
それで、2年前は東京と京都で2回リサイタルしたんです。バロックザールには青山音楽賞というものがあるということを知っていたので、それにも挑戦したくて京都公演にはこのホールを選びました。でも、その時は少し(音楽や表情が)硬くなってしまって、新人賞を受賞することが出来なかったのです。新人賞は25歳までですから、タイムリミットがある。その時すでに23歳だった僕にはあまり時間がありませんでした。
ですので、すぐに次のリサイタル(今回の受賞対象公演)を企画したのです。1年間研鑽を積んで、25歳ぎりぎりで賞にエントリーしました。
この公演のために何が出来るかなって、たくさん考えました。前のプログラムではドイツ歌曲のみ歌ったのですが、今回は藤江先生をピアニストにお迎えして、さまざまな時代や国の楽曲に取り組みました。
僕は昨年3ヶ月ほどロンドンに留学していたので、イギリス歌曲も入れようと思いました。あとはブラームスの曲はアルトの声域だけどカウンターテナーでも出来るかな、とか・・・。今回の演奏会プログラムは、何か色々やってみたいなと考えた結果です。よりどりみどりみたいなプログラム。
それに、僕の中の節目としてのプログラムでもありました。

――何の節目ですか?

村松:今年、大学院を修了します。あとはやっぱり・・・「25歳」といえば四半世紀ですよね(笑)

――なるほど、節目ですねぇ。ところで本番の出来はどうでしたか?

村松:やっぱり僕の一番の課題ってスタミナなんですよね。僕は発声練習をあまりしないタイプなんです。すぐに喉が伸びてしまう。なので、僕は本番前にリハをほとんどしないですし、声を出さない。本番に向けて照準を合わせるんです。リサイタルって1時間半くらい歌いますよね。それを歌いきるという経験があまり無くて。

――課題だったスタミナは最後まで持ちましたか?

村松:ギリギリ持ちましたね。もうちょっと持たせたかったのですが。自分としての手応えは多少ありましたが、それがどう評価されるか分からないなと思っていました。

――プログラムはどうやって組みましたか?

村松:前半はイタリア歌曲、原典アリアです。これはカストラート(カウンターテナーの前身)のレパートリーです。ジョルダーニ、パーセルを入れて、カストラートへのオマージュにしました。次にイギリスで勉強したクィルターを入れて、ブラームスでがらっと変えました。最後はカウンターテナーの真骨頂であるオペラアリア(ヘンデルとテレマン)。僕の思いは全部プログラムに書き込みました。皆さんに分かっていただきたかったのです。

――ブラームスは本当に挑戦でしたね。

村松:はい。また色々なことに挑戦したいと思っています。現代曲とか。
カウンターテナーって音色が一つになりがちなのですが、僕は色々な種類を作りたいんです。

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――ご自分の声がカウンターテナーだって気付いたのはいつ頃でしたか?

村松:小学校6年の時、京都市少年合唱団にボーイソプラノとして入団したんです。その後、本格的に音楽の道を志そうとした時にホルモン検査をしました。僕の声はボーイソプラノなのか、それとも既に変声しているのか調べるためです。
変声期を迎えたのか迎えていないのか、声を聞いただけでは分からなかったんです。

――へぇー、そうなんですか。

村松:検査の結果、小学校6年生ぐらいにはもう変声期を迎えていたということが分かったんです。考えてみれば、その頃『風邪っぽいかな』って思いながら裏声で歌っていた時期があったんですよね。つまり、本来の自分の声を出すためには裏声じゃないとダメだった。歌だけではありません。喋る時も裏声だったのです。今は矯正したので、裏声では喋りません。高校1年くらいまで裏声で喋っていたんですが、地声に戻しました。ちなみに京都市立音楽高等学校(現 京都市立京都堀川音楽高等学校)にはボーイソプラノで受験しました。

――ボーイソプラノで受験出来るんですね!知りませんでした。

村松:はい、既に変声していたとは検査で分かっていましたが、裏声で受験しました。入学直後はテノールとかバリトンの練習もしていました。カウンターテナーになるつもりはなかったんです。でも、うまくいかなくて・・・。地声では音程が取れなかったんですよね。たぶん、裏声で音程を取っていたので裏声用の筋肉が発達していたのかもしれません。それで、高校3年生の時に「よし、カウンターテナーで行くぞ」という指針を決めました。

――一つ質問、カウンターテナーの人たちは常に裏声で歌っているのですか?

村松:はい。「ファルセット」と言います。

――でも、村松さんは太い声も出されますよね?

村松:その発声法を実践するために1年くらい要したのですが、裏声をベースに地声を混ぜていく練習をしました。裏声と地声を調合していく感じですね。

――そういう発声の方法や喉の使い方は村松さん独自のものですか?

村松:うーん、歌う時に道が見えるというか・・・。体とコミュニケーションを取るのです。
高校時代からなんですけど、ここの中から(胃腸のあたりを指差す)上に向かってカメラで撮影してるように息の通る道が見えます。息が喉を通る道順をそのカメラでのぞくような感じというか。この声を出す時は、息はこの方向かなーって。

――そんな道順がご自分で見えるのですか?

村松:はい、たぶん歌手の人って皆そういうふうに考えていると思います。砂時計なんですよ、発声って。高い音程の時は開かれていて、低い音の時も開く。間の移行する時はそれが狭まるんです、針の糸を通すような感じ。そこをすっと通った瞬間というのは何の違和感もないんですが、ぐりぐりっとうまく通らなかった時はみんなに気付かれてしまいますね。

――その、すっと通った瞬間を体感したのはいつ頃ですか?

村松:すぐには出来なかったですね。高校3年の時は無理でした。大学3年の時くらいかなぁ。ずっとそのことについて考えていたんですよ。裏声と地声って普通の人は水と油くらいに、パンと違うものになるんですよ。そこを滑らかに移行するためにはどうしたらいいのかな、半音階で降りたら良いのかな、息の量を調節したり、色々工夫して実践してました。そういう、ずっと考えていたことと自分の師匠のアドヴァイスが一致したから出来たんだと思います。ちょっと分かった後は、道が見えたと思いました。今までは道がなかったので、どこをどう行ったら良いのか分かりませんでしたが、それ以降は道が見えたので、そこをうまく飛び越える練習をしました。

――1日に何時間くらい練習するのですか?

村松:2時間が限度かな。毎日は練習しません。

――えっ、毎日練習しないんですか??

村松:はい。僕、お風呂で練習するのが好きなんですよ。お風呂で何かを発見することが多いですね。

――まぁ、そうなんですか!確かにお風呂で歌うと気分が良くなるし、響くから体の余計な力が抜けて軽く発声出来るかもしれませんね。
これからも個性的なカウンターテナーを目指して頑張ってください!今日はありがとうございました。

 

(平成27年3月7日 青山音楽記念館・バロックザール)

2014年度青山音楽賞 受賞者インタビュー⑥ クァルテット・ベルリン・トウキョウ(弦楽四重奏、バロックザール賞)

2014年度青山音楽賞受賞者インタビューも残すところ、2回となりました。
第6回目の今日は、バロックザール賞を受賞された弦楽四重奏団クァルテット・ベルリン・トウキョウです。
4人全員がドイツのベルリンに留学していたという縁で結成した、このカルテット。
仲の良さと同時に、音楽に対する意識の高さが印象的でした。

クァルテット・ベルリン・トウキョウ(左から守屋剛さん、モティ・パヴロフさん、松本瑠衣子さん、杉田恵理さん)075

 

――今回の受賞、おめでとうございました。まず、皆さん方4人がどのようにしてこのカルテットを組まれたのか、お話いただけますか?

杉田恵理さん(以下敬称略):まず、守屋君と私が武生国際音楽祭でカルテットとして出て欲しいとお願いされたんです。守屋君とは一緒に弾いたことがあったのは一回だけで、特別に親しかったわけではなかったのですが。それで、守屋君はファーストをやることになって、私がヴィオラをやることになりました。でも、セカンド・ヴァイオリンとチェロがいない、ということでその他のメンバーを探すことになりました。

松本瑠衣子さん(以下敬称略):杉田さんと私は3,4年前から別のカルテットで演奏していたので友人でした。他のメンバーとは一緒に演奏したことがなかったのですが、皆ベルリンに住んでいたので、それぞれが知り合いという関係だったのです。

――なるほど、この4人が一緒に演奏活動を始めるには「ベルリン」というご縁があったんですね。活動を始められて何年になるのですか?

杉田:2011年に結成したので、今年で4年目になります。

――3年目の年にここで演奏会をしてくださったわけですが、ここで演奏会をしようと思われたきっかけは?

杉田:私がホールの申込みをしました。以前から関西で弾きたいなという気持ちがあったのですが、出来れば金銭的に助成していただけるようなところがいいなと思ってホールを探していたんです。そこで見つけたのが青山音楽記念館・バロックザールで、申込みに行った時に「賞に参加されますか?」と聞かれたので、「はい!」っていう感じで賞への参加を決めちゃいました(笑)
守屋君は前に「新人賞」をもらったんですよね。
守屋剛さん(以下敬称略):2005年かな?

――当日のプログラムはどうやって組まれたましたか?

守屋:今、レパートリーを広げていこうとしている最中で、それぞれの時代から偏らずにプログラミングしようと思っていました。演奏会ではベートーヴェンの5番とブラームスの2番が前半で、後半は死と乙女(シューベルト)を演奏しました。私の師匠である田渕洋子先生らがいつもアルバン・ベルク弦楽四重奏団が演奏したシューベルトの「死と乙女」の話をされていたので、絶対にそれは弾こうと決めていました。ベートーヴェンは難しいですけど「チャレンジ」として、ブラームスはロマン派時代の楽曲として、それぞれプログラムに組む込むことにしたのです。

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――なるほど、そうだったんですね。ところで、この4人の方々の中でどなたが率先して音楽を引っ張っていくのですか?リーダー的存在の方っていらっしゃいますか?

杉田:皆、わりとリーダー的ですよね。誰が仕切って・・・とかはないですね。わりと民主的なカルテットだと思います。喧嘩もいっぱいするんですけど。皆がそれぞれに得意分野がありますね。

――バランスがいいんですね。ちなみに皆さんの得意分野は何ですか?

杉田:私は連絡係ですね。マネージャー的なことが結構得意です。コンクール情報とかを収集したり。守屋君は何だろう・・・

松本:コネクション係かな?(笑)彼は結構周りの人々に恵まれていて・・・(笑)

杉田:先生とかを探してきてくれたりしますね。守屋君のおかげで今、ハノーファー音大でオリヴァー(・ヴィレ)先生に師事することが出来ています。で、モティ(・パヴロフ)は・・・

パブロフ:・・・コメディ?(一同笑い)

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――いや、コメディ的要素は大事ですよね。

杉田:日本人3人だけだと雰囲気が固くなったりすることもあるんですけど、彼がいることによって言いたい放題になったり、英語でストレートに言えたりするんです。フレキシブルな感じになります。
松本さんは・・・彼女はやっぱりみんなのお母さん的存在です(一同笑い)

松本:私たちはよく演奏旅行をするんですね。とても恵まれたことなんですが、ホテルではなく友人たちの家に宿泊させてもらうことが多いんです。練習やリハ中にはあんまり怒ることはないんですけど、誰かのお宅にお邪魔することになった時にいきなり「汚い!ちゃんと掃除して!」と怒ったりします(笑)

パヴロフ:ミンナノ オカーサン(一同笑い)

――さっき喧嘩をよくなさると言っていましたが、それは音楽的な内容で、ですか?

杉田:そうですね。やっぱり突き詰めていくと色々と譲れないことが起こってくるのです。それで「なんでそう思うんだよ」ということに発展していくんです。だんだん喧嘩になっちゃうというか。

――でも、それってすぐに解消するんでしょう?

杉田:私はすぐに忘れます。でもパヴロフはけっこう後々残っちゃう。センシティヴなんです。

松本:コメディ担当なんだけど実は繊細なんです。

――なるほど。皆さんの仲の良さが伝わってきます。
最後になりますが、今後の活動とか、目標がありましたら教えていただけますか?

杉田:今回、二度目の日本ツアーをさせていただいたんです。受賞対象公演となった演奏会は一度目の日本ツアーの中の一つでした。今回は東京や横浜、岡山に福岡、最後に浜松で演奏会を開催して終わるんですが、色々な方と知り合うことが出来ました。ドイツでは2月にマネジメント事務所がつくことになりました。これからはドイツだけではなくヨーロッパ中で、今まで以上に演奏活動をすることが出来るのではないかと思っています。次の年、また次の年っていうようにつなげていけたらいいなと思っています。今回の日本ツアーをやってみて手応えを感じているので、これからも頑張っていきたいです。

――京都でもまたやっていただけますよね?

松本:したいです!でもなかなか難しいです。関西を全く知らない私たちにとっては京都で演奏会をするということはなかなかハードルが高いです。もっと私たちを知ってもらいたいと思っていますし、知ってもらった上で、もっと色々な土地で演奏会をしていきたいと思っています。

守屋:私は、これまで自分たちの演奏を聴いたことのない人たちのために弾いていきたいです。コンサートに足を運べないようなおじいちゃんやおばあちゃんのもとでも演奏したいです。カルテットというのは、ピアノがなくても演奏出来ますし、オーケストラよりも機動力がありますし、色んなところにいける。レパートリーにも恵まれています。ソロよりも音楽的な幅は広いと思っていますので、色々なところでカルテットの良さというものを伝えていきたいです。音楽によって色んな人とコミュニケーションを取れたら良いなと思います。

私個人としては、カルテットを通して魂を磨いていくことが出来るのではないかと思っていて・・・それは、ものすごく難しいことだと思うんですけど、4人それぞれの価値観とか考え方が違う中で、どうやってそれを乗り越えていくか、高めていけるかということは、結局自分たちの音楽を磨いていくことにつながっていくと思うんです。心が綺麗であれば、音楽も綺麗になると思うんです。お互いにぶつかることを恐れずに、同時に、他の人のために何が出来るのかということを常に考えていかなければいけない。今すごく貴重な機会を頂いていると思っています。
私たちの師匠が言った言葉なんですが、「何が本物か分からなくなってくる」「曖昧になってくる」中で、このカルテットは本物を突き詰めていく貴重な存在です。恵まれたメンバーと一緒に妥協の無い音楽を目指していける環境の中で、これからも良い演奏活動が出来るのではないかと思っています。

パヴロフ:聞いてくださったお客さまの記憶にいつまでも留まるような演奏をしていきたいと思っています。音楽は花と一緒で、その一瞬が大事です。その瞬間を大事にして、人の心に残るようなカルテットにしていきたいです。

 

(平成27年3月7日 青山音楽記念館・バロックザール)

2014年度青山音楽賞 受賞者インタビュー⑤ デュオ 夢乃 YUMENO(チェロ&箏デュオ、バロックザール賞)

2014年度青山音楽賞受賞者インタビュー第5回目は、ご夫婦でチェロ&箏のデュオを組まれているデュオ 夢乃 YUMENOさんです。
玉木さんと木村さんの音楽観などもお伺いすることが出来、とても楽しいインタビューとなりました。

 

デュオ 夢乃 YUMENOさん(チェロ&箏、バロックザール賞)
084箏:木村伶香能さん  チェロ:玉木光さん

 

――受賞おめでとうございます!普段はアメリカに拠点を置かれているお二人ですが、受賞のニュースを聞かれた時、どうでしたか?

玉木光さん(以下敬称略):ビックリでした。
木村伶香能さん(以下敬称略):アメリカから帰ってくるだけでもう一苦労というか、楽器の移動とかもありますし、無事にコンサートが終わりますようにとばかり思っていましたので、賞にエントリーしたことを・・・実は忘れていました(笑)
玉木:賞はダメモトでした。

――お二人はご夫婦でいらっしゃいますが、いつデュオを組まれたのですか?

玉木:2008年に初めて共演して、2010年ごろから本格的に演奏活動を始めました。

――チェロと箏という組み合わせってなかなか聴いたことがなかったんですけど、実際に聴いてみると意外に合うというか・・・新鮮な響きにも感じられるし、前からあったようにも感じるんですよね。チェロの音が時々尺八っぽい響きになるんです。

玉木:良いところに気付かれましたね(笑)たぶんこの曲を作曲されたマーティン・レーガーさんは尺八のためにもたくさん曲を書いていらっしゃるので、恐らく尺八を意識して書かれたと思うんです。チェロの音と尺八の音との間には通じるものがあるんじゃないかな?

――どのようなきっかけでチェロと尺八で演奏なさろうと思ったのですか?

木村:私がまだ日本にいる時の話ですけど、彼はもうすでにアメリカにずっと住んでいたんですね。彼がオケで仕事をしていた土地で「サクラフェスティバル」というものがありました。2008年4月のことです。私はゲスト奏者としてそのフェスティバルに呼んでいただいたんです。それで「この街には日本人の演奏家が3人います」と言われまして。ヴァイオリン、チェロ、トランペットの方だったんですけど「(共演するなら)どの方が良いですか?」と聞かれまして(笑)
私、昔にヴァイオリンと共演したことがあって、弦の音に馴染みがあったんです。それで「今度はチェロとやってみたいな」と思って・・・

――お二人はご夫婦ですから、もしその時に違う楽器を選んでいたら・・・

玉木:そう、全然違うことになっていたでしょうね(笑)
木村:尺八と箏のために書かれたとても綺麗な曲があって「六連星(むつらぼし)」というんですけど、昴のことです。彼がその曲の尺八パートを演奏して「いいな」と思ったんです。
玉木:「意外な合うな」というのをその時2人とも感じたんですよね。周囲の反応も新鮮という声が多くて、手応えを感じたんです。
木村:音楽的にも人間的にも、周囲が無理矢理私たちをくっつけようとしまして・・・(笑)
いつの間にかこういうことになっちゃいました。

――そうなんですか(笑)
ところで、洋の楽器で和の楽器のパートを演奏なさるとき、模倣から入るのか、チェロの音色を生かして新たなものを作り出すのか、どちらですか?

玉木:最初は模倣から入ります。だんだん弾いていくうちに、本来のチェロの癖が出てくるというか、どうしても模倣だけではなくなってくる気がします。最終的にはチェロの弾き方にはなっていると思うんですけど。

――でも聞いていたら一瞬「あれっ尺八だったっけな」と思うんですよ。

玉木:ありがとうございます。
木村:私たちがやっている曲って、チェロと尺八のために書いていただいたものがけっこう多いので違和感とかはないですね。

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――当日のプログラムはどのように組まれたのですか?

玉木:まず六連星を弾いて、日本の古典を1曲入れて・・・
木村:古典には唄が入るんです。古典の作品を紹介するという機会が日本でもアメリカでも少ないのですが、言葉というものは大切なものなので、あえて古典ものを入れました。3曲目はさきほど弾いていた、マーティン・リーガーさんが新しく書いてくださった、箏とチェロのための曲です。
玉木:後半は、私たちがずっと委嘱してきた組曲を弾きました。実は今までその組曲を全曲通して演奏したことがなかったんです。演奏会で初めて全曲通して演奏したので、そういった意味で世界初演だったんです。

――記念になるような演奏会だったんですね。

玉木:そうですね。あの公演後、全曲を通して演奏する機会を頂いたんですが、初めて通した時はそういった不安があったんですよね。だから終わった時「全曲通せた」という安堵感が大きかったです。でもやっぱり、全曲通して演奏すると自分たちでも見えていなかった部分が見えるというか「これで良かったのかな」という思いがありましたね。結果的には課題が沢山見つかったので良かったのかもしれませんけど、違和感はありました。

――それでは最後に、今後のお二人の夢を教えていただけますか?

玉木:アメリカで日本の音楽を紹介していくという、いわばミッションのようなものを突き詰めていきたいです。それと同時に、お箏と三味線とチェロのコンビネーションで、どれだけあたらしい音楽を開拓していけるかということを主軸にして活動していきたいです。
木村:うーん、私が言いたいこと、ほとんど言われてしまいました!(笑)

――今年6月にもバロックザールで演奏会(※リンク先に公演情報あり)をしてくださるデュオYUMENO夢乃さん、今後の活動を楽しみにしております!ありがとうございました。

 

 

(平成27年3月7日、青山音楽記念館・バロックザール)

2014年度青山音楽賞 受賞者インタビュー④ 清木ナツキさん(バロックザール賞・フルート)

2014年度青山音楽賞受賞者インタビュー第4回目はバロックザール賞を受賞された清木ナツキさんです。フルーティストだけではなく様々な顔をお持ちの清木さん。
今回のインタビューでは、清木さんのパワフルさをあらためて垣間見ることが出来ました。

 

清木ナツキさん(フルート、バロックザール賞)
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――あらためまして、今回の受賞おめでとうございます。受賞のニュースを受けられた時のお気持ちを教えて頂けますか?

清木:実はお知らせのお電話を頂いた時、実感がわかなかったんです。電話を切った後、しばらくして家族の方が喜んでいて・・・家族が喜んでいる姿を見て『あぁ、受賞出来たんだな』とようやく自分も実感がわいてきました(笑)嬉しいことだなーと、あとでじわじわきました。

――なぜ今回、バロックザール賞に挑戦されようと思ったのですか?

清木:私は2010年に結婚して京都に来たんです。それまでは東京にいて、京都や関西に知り合いがいませんでした。そんなわけで、京都では一から音楽活動をスタートさせなければいけないような状況でした。その後、出産して子育てをしていたんですが、ようやく最近一段落ついたかなと思ったので・・・まぁ、一段落というほどでもないんですけど。

――お子さんはおいくつですか?

清木:2歳と3歳です。保育園も入って、産後のブランクとか自分でも不安だったのですが、せっかく住んでいる京都でリサイタルやってみたいなと思って・・・。やるならここのホールがいいかなと前から思っていたので、こちらのホールでとりあえず日程を取ってしまえば自分でエンジンがかかると思いました。

――そうなんですか・・・清木さんを見ていると「不安」でいらっしゃったなんて想像もつきません。

清木:そうですね~妊婦の時も演奏はしてたんですけど、リサイタルをするというほど挑戦的にはなれなかったんです。だから少し落ち着いたいま、リサイタルをしたいなって思いました。リサイタルをやるのであれば、賞にもエントリーさせていただこうと思いました。せっかくの機会ですから。ただ、コンサート当日は賞のことはほとんど忘れていましたね。

――個人的な質問で申し訳ないのですが・・・2歳と3歳のお子さんがいる中でどのようにしてリサイタル用の曲を準備なさったのですか?相当な量の曲を準備しなければいけないし、かなり大変だったのではないかと思うのです。

清木:そうですね・・・実は思ったほど練習時間が取れませんでした。リサイタル一ヶ月前になって「わぁ、もう1ヶ月しかない!」と焦りました。まぁ、この焦りが逆に良かったのかもしれないですけど。夜、子どもたちを寝かしつけた後に、夜の9時くらいから練習していました。「お願いだから早く寝て!」って思っていました(笑)
お昼間は子どもたちは保育園に入っているので、私の仕事がない時に練習していましたが、その他にも色々とやらなくてはいけないことがあって大変でした。

――そりゃそうでしょう、本当にパワフルですよね。

清木:あとは家族のサポートがあったのが大きかったですね。夫は「リサイタルやったら?」と言ってくれていましたし。そういう言葉をかけてもらえなかったら絶対に出来ていなかったと思います。

089ピアノ伴奏:小林玲子氏

 

――当日はうまく演奏出来ましたか?

清木:自分としてはここのホールはとても演奏しやすかったです。バロックザールって縦に長いじゃないですか。上に音を飛ばそうという感覚で演奏していると、なんだか音楽の神さまが降りてきてくれるというか、そんな気持ちになりました。ピアニストの佐竹裕介さん(受賞対象公演での伴奏者)のサポートも大きかったです。彼にとっては初めて演奏する曲ばかりだったんですけど、たくさん協力していただきました。当日、私にとってもピアニストにとっても集中力を切らしてはいけない曲ばかりだったので、舞台袖で集中力を保ったり切り替えたりするために佐竹さんも「もうちょっと(舞台に出るのを)待っていただいて良いですか」と言っていました。息も切れてましたし、しんどかったです。「集中しましょう、集中しましょう」と二人で言ってました。
最後まで集中力を切らさずに演奏出来ましたので、そういった意味では当初の目標である「集中力を持って演奏する」っていうのは達成出来たかなと思います。

――ご家族の方の感想はどうでしたか?

清木:「良かった」としか言ってなかったですね(笑)いつもそうなんです。「すごく良かったよー」と言ってくれてました。終わったあと、自分では良かったとか悪かったとかそういう感覚よりも、お客さまからの反応がとても良かったので「あ、やって良かったな」という気持ちになれました。終わったことがとても嬉しくて、飛び跳ねて喜んでいました(笑)

――そうでしょうね、とてもよく分かります。
リサイタルのプログラムはどうやって決められたんですか?

清木:《デジタルバード》は初めてやる曲だったんですけど、それ以外の曲はやったことのある曲だったので、バランスを考えて曲選びをしました。自分が得意な曲の中で選びましたが、選曲したあとで「大変な曲を選んでしまったな」と思いました。体力的に大変な曲ばかりなのです。全部メインとなってもおかしくない曲ばかり。知り合いのフルーティストにプログラム見せると「すごいプログラムだね」ってびっくりされました。だけど、自分の得意な曲だって言い聞かせて、やりきることが目標でした。

――それでは最後に、今後の夢を教えていただけますか?

清木:「バロックザール賞」を受賞したことは、自分にとって自信を持つきっかけになりました。今後も演奏活動を続けていく中で、新しい曲やお客さんが楽しめるような意欲的な曲に取り組んでいきたいです。継続的な活動をしていきたいと思っています。

 

(平成27年3月7日、青山音楽記念館・バロックザール)

2014年度 青山音楽賞 受賞者インタビュー③ 東紗衣さん(新人賞・クラリネット)

2014年度青山音楽賞受賞者インタビュー第3回目は、新人賞を受賞された東紗衣(ひがしさえ)さんです。
東さんは現在、東京藝大の音楽研究科修士課程に在籍しつつ、兵庫芸術文化センター管弦楽団にも籍を置き、オーケストラ団員としても活躍なさっています。

 

東紗衣さん(クラリネット、新人賞)

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――受賞おめでとうございます。東さんは新人賞を受賞されましたが、新人とは思えないような立派な演奏でした。今回のリサイタルはどのようなお気持ちで企画されましたか?

:普段、私は兵庫芸術文化センター管弦楽団というところで演奏活動をさせて頂いています。オーケストラのレパートリーを勉強することも大事ですが、クラリネット奏者にとしてソロであったり室内楽であったり、そのような活動も深めていきたいという気持ちがありましたので、今回のリサイタルを企画しました。

――当日のプログラムはどのように組まれましたか?

:プログラミングに関しては、今まで勉強してきたものと新たに取り組んだプログラムとバランスを取るようにしました。一番勉強してみたかったのは、メインで取り組んだレーガーです。いま私は東京藝大の修士課程にも在籍していますが、修士論文のテーマがマックス・レーガーのクラリネット作品なんです。

――へぇ!レーガーのクラリネット作品ってたくさんあるんですか?

:今回演奏したソナタの他に、ソナタが2曲あります。あとは弦楽四重奏とクラリネット・ソロのための楽曲があって・・・。なかなか全部内容の濃い作品ばかりです。リサイタルみたいな機会がないと勉強することはないなと思ったので、今回3番のソナタを取り上げてみました。内容が複雑で、それを整理していくのが大変でした。

――聴いているだけでも『難しい曲だな』と思っていたので、本番のために準備するのはさぞかし大変だろうなと思っていました。

:そうなんです、難しかったです。

――本番のリサイタルでは緊張しましたか?

:初めてのリサイタルだったので、前日まではすごく緊張しました。当日は素晴らしいホールとお客さまのあたたかい雰囲気のおかげで、安心して演奏することが出来ました。演奏会が始まってしまったらグッと音楽に入れましたね。

――演奏会のためにこんなに沢山の曲を一度に準備したのは初めての経験だったのではないでしょうか?

:そうです、こんなに沢山の曲を同時期に準備するというのは初めてでした。コンクールだと一次予選、二次予選というように区切りがありますが、リサイタルは一気に演奏しないといけません。ただ、コンクールとは違って、自分のやりたい音楽を100パーセント出し切れる場だったので、準備していてとても楽しかったです。あっという間でした。

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――ところで、東さんはリサイタルでA管、B管、D管と3本のクラリネットを持ち替えていましたけど、これはクラリネット奏者にとっては大変なことなのですか?

:オケにいるとA管とB管の持ち替えは日常茶飯事ですが、D管は滅多に使われません。最近で言うと、リヒャルト・シュトラウスのオーケストラ作品でEs管とD管の持ち替えが出てきたりとか、ストラヴィンスキーなどの近現代ものになってくると、通常の楽器では演奏困難である箇所で楽器の持ち替えが行われます。でも、そのような楽器を所有している人が少ないんですよね。

――東さんはもともと楽器をたくさんお持ちでいらっしゃったのですか?

:いいえ、大学3回生の時にお世話になった十亀正司先生が色んな種類の楽器をお持ちで、今回お借りすることが出来ました。

――リサイタルが終わって、自分の演奏に満足出来ましたか?

:まず、新人賞に参加していたので「うまくいけばいいな」という気持ちがありました。自分のやりたかったことは出来たという感じかな?もちろん課題も沢山見つけきましたけど。

――今後、どのような勉強がしたいですか?

:今回こうやって賞を頂けたことで、ドイツに留学しようと決心がつきました。ドイツの作曲家や音楽に心ひかれるのです。オーケストラの雰囲気であったり、その土地の雰囲気であったり、そういうことを全身で感じられる環境を求めています。そういう中でクラリネットを勉強したいと思っています。

――そうですよね、留学する時って何か後押ししてくれるようなものがないと難しいですよね。それでは最後に、今後の夢や目標を教えていただけますか?

:最終的にはどこかオーケストラに入団して活躍していくことがクラリネット奏者にとって一番幸せなことではないかと思っています。私はオケでの活動もソロの活動もどちらも好きですが、多くの作品に出会えるのはオーケストラなので、今はオケでの活動が楽しいです。オーケストラを通して色んな作曲家の作品に出会っていくことで、自分の音楽を成長させていくことが出来たらなと思っています。

 

 

(平成27年3月7日、青山音楽記念館・バロックザール)

 

2014年度青山音楽賞 受賞者インタビュー② 山本康寛さん(音楽賞・テノール)

受賞者インタビュー第2回目は「音楽賞」を受賞なさった山本康寛(やまもとやすひろ)さんです。
実はインタビュアーと山本氏は京都市立芸術大学音楽学部時代の同期、ピアノ伴奏の中村圭介さんはその1年先輩という仲。
気の置けない仲間同士、和気藹々とした雰囲気の中でインタビューが行われました。

 

山本康寛さん(テノール、音楽賞)

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――この度の受賞おめでとうございます。

山本康寛さん(以下敬称略):ありがとうございます。

――では、この音楽賞に参加されようと思った経緯を・・・

山本:ご存知の通りですよ、好きに書いてください(笑)

――まぁそんなこと言わずに語っていただけますか?
リサイタルを計画した当時が懐かしいですね。

山本:バロックザールに勤めている貴女から「リサイタルをしない?」と誘われたことがきっかけでしたよね。僕の伴奏者である中村圭介さんにもそう言って頂きました。この2人がいなかったらリサイタルはやってなかったかな。リサイタル開催は、自分にとってまだ早いと思っていたので、このタイミングでやれたのは2人の後押しがあったからです。

――このリサイタルを計画した時、賞を狙えると思っていましたか?

山本:そりゃー狙ってましたから。完全に狙ってました(笑)
中村圭介さん(以下敬称略):完全に取るつもりでやりましたから(笑)

――そりゃそうですよね、皆そうだと思う。狙わない人なんていないでしょう。

山本:そう、リサイタルを企画する上で賞を狙おうという気持ちも大事だったんです。後押しされた感じ。それを意識したから、今回のプログラムはかなり玄人向けになったというか・・・。歌曲って言っても、リストなんて一般のお客さんからしたら知らないよね、シューベルトって言った方がピンと来てくださるというか。ブリテンなんてだーれも知らないでしょ(笑)でもあのブリテンの曲を見つけた時はテンションがあがったよ、面白かったから。1小節目を聴いた時点で『あ、これやろう』と思ったもん。この曲との出会いは大きかったかなぁ、他の曲は考えられなかった。

今回のリサイタルは人生の節目でもありました。このタイミングが大事だったんです。びわ湖声楽アンサンブルを出た、飯塚音楽コンクールで優勝した、日本音楽コンクールで2位をもらった、オペラ『死の都』を歌った・・・色々と一区切りついたタイミングがリサイタルをした年(2014年)だったから。びわ湖声楽アンサンブルでの6年間は大きかったかな。その集大成という感じでこのリサイタルをしたとも言える。

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――前半のプログラムには歌曲が並べられていましたが、後半のプログラムではアリアが並んでいました。

山本:後半は自分の十八番の曲、自分がやりたい曲を色々なオペラから選びました。そのうちの1曲はお客さまのことを考えて有名なアリアを入れた。モーツァルトも歌えます、というような自分の幅のようなものを見せたかったんです。

――なるほど。確かに、レパートリーの幅が豊かに表れていたプログラミングだったと思います。

山本:それからこれはいつも中村さんが言ってることなんだけど、あのリサイタル後半はいつも受けてるコンクールような気持ちで歌うことが出来ました。コンクールでは一次予選でオテロのアリアを歌って、最後に連隊の娘を歌ってたから。「いつもの感じ」で歌えた。良い緊張感が出たかなとは思う。
中村:「いつも通りの感覚で」だったね。

――連隊の娘のアリアは何度も歌ってるんでしょう?

山本:そうだね、30~40回は歌ってると思う。

――あの曲は盛り上がりますね。いつもあんな感じで盛り上がるのですか?

山本:うん、いつもあんな感じで盛り上がるよ(笑)聴き所がはっきりしてるからね。(後半の印象が強すぎて)前半は、みんな記憶を無くすけど(笑)、前半をしっかり歌って、後半の聴き所であるハイC(※)を頑張る。最後の1分間で出てくるから、あれ。
(※ハイC・・・テノールの声域における最高音C5の音のこと。ファルセット(裏声)を使用せずに歌われる)

――ハイCは何回出てくるんでしたっけ?

山本:9回。

――9回!それってすごいことなんでしょう?

山本:今の僕にとってそれが一番強い武器かな。

――素朴な疑問なんですが、ハイCが出たからあのアリアを歌ったんですか?それともあのアリアを練習しているうちにハイCが得意になったんですか?

山本:ハイCが出たからあのアリアを歌ったんだよ。もともとは上の音域出なかったから。

――へぇ、いつ出るようになったんですか?

山本:大学院に入る時かな。院試の直前です。

――そうなんですか!明らかに自分の声が変わりだしたなと思ったのはいつ頃ですか?

山本:日本音楽コンクールの二次予選の一週間前かな?
中村:えぇ~~!!(笑)
山本:ちょっとずつしか変化しないけど、あの一週間は自分にとってターニングポイントだった。もともとは師匠の影響でリートとかオラトリオを歌いたかったのですが。

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――ところで中村君はいつから山本君と演奏しているのですか?

中村:僕がちょうど留学先から一時帰国する時に山本君からメールをもらったのがきっかけです。4年前かな。
山本:当時、受けたいコンクールがあったんです。もともと伴奏をお願いする予定だった方の予定が無理だったから、中村さんにお願いしようと思った。もし中村さんの予定もダメだったらそのコンクールは諦めるつもりだったんだけどね。長久手国際オペラ声楽コンクールっていうんだけど。それがきっかけかな。

――話を演奏会に戻しますが、本番の出来はどうでしたか?自分の手応えとして。

山本:うーん・・・(沈黙)
中村ベストだったと思うよ!!
山本:そうだね・・・。でもね、実は一回も(リサイタルのプログラムを)通して歌ってなかったからね!(笑)
中村:前半も後半も通して歌ったことが一回もなかったから、本番は大変だったね。

――まぁ・・・そうだったんですか。でもそれが逆に、本番当日は新鮮だったというか、良いものがぱっと出たんじゃないんでしょうか?

山本・中村:それはない(笑)
中村:僕、本番ビックリしたもん、「(通して演奏すると)こんなにしんどいことなんだ!」って(笑)

――2人とも緊張はしなかったんですか?

中村:僕はしなかった。
山本:緊張はしてたよ。連隊の娘くらい場数を踏んでいると緊張しないけどね・・・
それ以外は緊張した。緊張すると手が冷たくなったり歌詞が飛んだりする。
まぁ、歌詞は緊張してなくても飛ぶんですけど(一同笑い)

――歌詞が飛んじゃっても意外とバレませんよ(笑)、堂々と歌っているように見えました。

山本:意外にバレないね(笑)でもギリギリ綱渡りの曲もあったんですよ。
前半のプログラムに関しては、贈賞理由にも書いてくださっていたけど、声でも勝負するけど音楽性でも勝負したいと思ってた。複雑な曲ばかりだったので大変でした。リストやブリテンはただ演奏するだけでもハードな曲なのに、音楽的にも難しい。

――今回のリサイタルを終えて、また一つ何か新しい壁を乗り越えたような感じがするんじゃないですか?

山本:そうだね、越えないといけないよね。でも今後は「最後まで歌えてすごい」じゃなくて、それに加えて余裕が出てくるとか、また次の壁を越えたい。次はもっと難しいハードルになるだろうね。このリサイタルを聴いてくださった皆さんが僕の歌に対してどういう印象を持ってくださったかということにも係わってくると思う。それで終わらせてはダメで、次にリサイタルをやる時にはもっともっと成長していなければ面白くないですよね。

――今後はどんな勉強をしたいですか?

山本:イタリアへの留学を考えています。ジャンルとしては後半のプログラム(オペラ・アリア)がもっと充実するような勉強がしたいです。

――最後にどんな歌い手になりたいか、教えてください。

山本:心を動かせる歌手になりたいです。

――素晴らしい、ありがとうございました!

2014年度青山音楽賞 受賞者インタビュー① 萬谷衣里さん(音楽賞・ピアノ)

3月7日、「2014年度青山音楽賞授賞式」が行われ、今年度の青山音楽賞受賞者が発表されました(新人賞2名、音楽賞2名、バロックザール賞3組)。
式の合間を縫って行われた受賞者インタビュー、7回にわたって皆さまにその模様をお伝えします。
第1回目は、青山音楽賞「音楽賞」を受賞なさった萬谷衣里(まんたにえり)さんです。

 

萬谷衣里さん(ピアノ、音楽賞)

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――この度は受賞おめでとうございます。まず、この青山音楽賞に参加しようと思った経緯を教えていただけますか?

萬谷衣里さん(以下、敬称略):だいぶん前からこの賞の存在は知っていて、実は1回新人賞にエントリーしてるんですよ!

――まぁ、そうだったのですか?

萬谷:2005年だったかな?(東京藝大の)修士1年の時だったと思う。とにかくこのホールで自主企画としてリサイタルを開かせて貰って・・・その時は本当に地味で大変なプログラムを組みました(笑)例えば、バッハのプレリュード・フーガのあとに、ベートーヴェンの熱情ソナタとショスタコーヴィチのプレリュード・フーガを2曲くらい弾いて、後半にマックス・レーガーのバッハの主題による変奏曲とフーガ。難しい曲にチャレンジしたのですが、その時は受賞出来なかった。その時は「仕方ない」と思いました。いつかこの「音楽賞」に参加出来る年齢になったら再チャレンジしたいなと思っていたので、それが目標としてずっと頭の中にありました。今回はプログラムも整ったのでやってみようと思いました。

――1度目のリサイタルのプログラミングを今聞いても思いましたが、萬谷さんのプログラムの組み方って、全体的に一つの筋が通っているというか、コンセプトがありますよね。受賞対象公演となったリサイタルも「2人のフランツ」というサブタイトルがつけられていました。

萬谷:シューベルトとリストっていうのは、自分の中でとっても近い作曲家たちなんですよね。その2人を組み合わせると、音楽会としても自分としても、きっと充実したものを出せるという自信がありました。もちろん音楽賞に参加するということも頭の中にあったから、自分の一番好きなもの、一番得意なものを出そうとした時にこの2人になったんです。しかも、たまたま2人ともフランツだったから良いアイディアだと思って。しかも、2人の音楽って似てるんですよ。もちろん彼らの生き方というのは全然違うんだけど、コントラストが強い部分とかがとても似てる。あとは、歌心がたくさんあるところとか、デモーニッシュな部分であったりとか、一つの曲の中に沢山の要素が入っています。その振り幅の大きさに共通点を感じます。
リストのソナタロ短調は30分くらいあるし、シューベルトの4曲の即興曲も40分近くあるんですけど、この2つを大曲として並べた時に、なんかリンクする部分があるなって思います。それを皆さんに聴いて頂いて、気付いて頂きたかったんです。

――普通の聴き方をしてたら、シューベルトとリストって対照的な音楽性を持つ作曲家だなぁと感じると思うんです。だからわたしは、同じ名前を持ちながらも対照的な音楽性を持つ作曲家として2人を並べたのかな?と最初は思っていました。でも萬谷さんの説明を聞いて、あぁ確かに共通する部分もあるなぁと納得しました。

萬谷:ありがとうございます。

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――もう一つ、萬谷さんのプログラミングで気になったこと、それはドメニコ・スカルラッティを一番最初に持ってきていることです。これはなぜですか?

萬谷:あぁ、それは単に好きだからです(笑)昔から好きではあったんですが、演奏会に入れ始めたのはここ最近のことです。昔は試験とかコンクールのために練習する機会が多かったし、特にスカルラッティにはたいしたものはないと思っていた(笑)

――タイトルも「練習曲 (Essercizi=Exercice) 」ですからね。

萬谷:そうそう。だから自ら進んで演奏しようと思うような作曲家ではなかったんですけど、たまたま自分の気持ちにフィットする一曲に出会って、それを弾いていると、とても楽しかったんです。『これはウキウキするぞ!』と思って。スカルラッティって555曲もソナタがあるけれど、弾かれてるものって少ないでしょ?有名な曲はたくさん演奏されるし、録音も残っているけど、弾かれていない曲でも楽しいものもあるし、すごく良い曲があるんだろうなと思ってそれをリサーチしました。
いまはスカルラッティだけで演奏会を開きたいくらい大好き!(笑)

――ぜひぜひしてください、とても興味があります!
ところで、リサイタルを終えた時の自分の手応えはどのようなものでしたか?

萬谷:毎年、何かしらソロ・リサイタルに出演させていただいていますが、出来るだけ違うプログラムで臨みたいなと思っています。今回は自分の良い部分を凝縮した形で出すことが出来たとは思いますが、個々の部分で「ここは残念」、「ちょっと反省」というのはありました。

――聴いている側としては、全て素晴らしい出来でしたよ!

萬谷:ありがとうございます!

――いま萬谷さんは日本とドイツでそれぞれ活動なさっているけれど、どんな活動をしていらっしゃるのですか?

萬谷:日本で年に2,3回演奏会をやって、またドイツに帰る・・・という感じで活動しています。今年はドイツで色々と演奏会のオファーをいただいているんですけど、例えばドイツにあるお城の中で弾いたり、教会のコンサートシリーズだとか、去年はオーストリアでも弾かせてもらったし、けっこう気軽に違う都市に行って弾かせてもらって帰ってくることがヨーロッパでは出来るんですよ。固定のお客さんがいるところもあるし。色々な人と知り合うことが出来ますし、そこで知り合った音楽愛好家の方のご自宅に招かれてサロンコンサートを開いたり・・・。そういう活動をしています。もうドイツに住んで7年になるんです。

――もうだいぶんドイツに慣れた感じ?

萬谷:そうですね、ドイツ的な考え方の部分もあるし・・・。メンタル的な部分で大きな違いってやっぱりあると思う。ドイツやドイツ人の良いところを吸収している感じですね。

――今後はどのような活動がしたいですか?

萬谷:今回頂いた賞金で、出来れば形の残るもの、例えばCDを作ってオフィシャルに発表したいなと思っています。まだまだ何も進んでいませんが、自分だけではなかなか出来ないことなので。

――それでは最後に、ピアニストとしての目標を教えてください。

萬谷:目標は、継続して色んなことが出来るピアニストになりたいです。音楽に係わっていたとしても表に出て行く機会がいつの間にかなくなっていくことってありますよね。自分としては、地道に地味に、自分のペースでぼちぼちやっていけたらなと思う。

――そういうエネルギーを保ち続けるのってなかなか難しいですよね。

萬谷:そう、体力も精神力も。ピアノソロっていう一人の作業ですから。まぁ、自分でそういうことが合っていると分かっているのでやってるんですけど、それを継続するにはただやっているだけではダメだから。色んな要素を考えながらうまくやっていけたらなと思う。あとは、レパートリーを毎年増やしていきたいんだけど、今年はブラームスの中期から後期にかけての作品に熱中しています。ブラームスをまとめてやってみたいなと思います!

――萬谷さんのブラームス、今からとても楽しみです!またバロックザールで演奏してくださる日を待っています。今日はありがとうございました。

 

(平成27年3月7日、青山音楽記念館バロックザール)