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2015年度青山音楽賞インタビュー① 藤木大地さん(カウンターテナー・青山賞)

3月5日、「2015年度 第25回青山音楽賞授賞式」が行われ、6名と1組の受賞者が発表されました。
本来であれば新人賞の枠は2名ですが、甲乙付けがたく、特例として4名の受賞者が誕生しました。

式の合間を縫って行った受賞者インタビュー。今年も7回にわたって皆さまにその模様をお伝えします。
4月20日発行予定の財団情報誌にも一部抜粋して掲載しますが、財団公式ブログにはインタビュー全文を掲載!
受賞者たちの飾らない素顔をどうぞご覧ください。
第1回は、青山音楽賞「青山賞」を受賞された、カウンターテナーの藤木大地さんです。

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<贈賞理由>
藤木 大地:カウンターテナー・リサイタル(2015年11月7日(土))
日本人カウンターテナーとして初めてウィーン国立歌劇場と客演契約を結ぶなど、世界を股にかけて活躍する藤木が、関西初となるリサイタルで圧倒的な実力を見せつけた。天性のものであると思われる歌い口の巧みさに加え、幅広いレパートリーの中に見られる確かな表現力に、誰もが驚いたことだろう。その説得力に満ちた表現は、聴き手の心に染みわたり、深い感動を呼んだ。特に、美声のもとで発せられる高音域でのピアニッシモは、息を飲むほどの美しさであった。特筆すべきは、清水慶彦と増田真結による新作歌曲《白い凾》である。藤木の妥協を許さない音楽作りが端々に見られ、独自の世界観を生み出した。この好演を支えた、中村圭介のピアノ伴奏にも拍手を送りたい。国際的活躍を今後も重ねてほしいとの願いから、ここに青山音楽賞「青山賞」を顕彰する。(第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

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――藤木さんは現在、世界中を飛び回っていらっしゃいますが、そんなお忙しい毎日の中で、どうして京都でリサイタルを開催しようと思われたのか、そのきっかけを教えていただけますか?

 

藤木さん(以下敬称略):2014年の年末に、増田真結さん作曲のモノオペラ「ひとでなしの恋」という演目を京都で初演したんです。その時に、京都に音楽仲間がたくさん出来ました。リサイタルで伴奏を務めてくれたピアニストの中村圭介さんもその時の共演者の一人だったのですが、彼が2015年の頭くらいに「バロックザールでリサイタルをやりませんか?また藤木さんと一緒に演奏したいのです。」と言ってくれて。それが直接的なきっかけですが、僕は海外と東京を拠点にしていて関西での機会を増やしたいな、と思ったことも理由の一つです。

 

――今回、藤木さんがプログラミングされた曲の中に、京都で活躍する若手作曲家たちの新作も入っていましたね。これはとても意外でした。というのも、一般的にカウンターテナーの方々はバロック以前のものを歌っていらっしゃる印象が強かったからです。

 

藤木:その印象が一般的かもしれませんが、現代のカウンターテナーの概念としては正確ではないと思います。ベンジャミン・ブリテン以降の作曲家たちはオペラを作る際、カウンターテナーのために役を書いています。まだ存命の著名作曲家で言うとアリベルト・ライマンもトーマス・アデスもカウンターテナーに重要な役を与えています。僕はいまを生きる音楽家として、作曲家にインスピレーションを与えて、彼らに「曲を藤木大地に書きたい」と思わせるような存在になりたいと思っています。

さきほどおっしゃったように、日本では「カウンターテナー」というと、バロック音楽かそれ以前のものを主に歌う人だという先入観がありますよね。実際、カウンターテナーはリサイタルでロマン派の歌曲を歌ったり、新曲を委嘱したりもあまりしていないとはおもいます。

僕は自分が「カウンターテナーである」ということを特殊なことだとはおもっていません。声楽家として、僕の持っている楽器がたまたまカウンターテナーだったということです。いまはその楽器でこそ、自分の思うような音楽を作ることが出来ます。

つまり「カウンターテナー」という楽器を使って音楽がしたいだけで、ある声楽家が「軽いソプラノだから」、「カウンターテナーだから」、必ずこういうレパートリーを歌うべきである、といった、先入観のみに基づいた考え方はあまり好きではないんですよね。シンプルに、自分に与えられた楽器と向き合って「声楽」をやればいいと思います。それで出てくる音楽がどうか、というのがその音楽家の魅力です。

僕のことを雑誌や新聞で紹介して頂く際に「カウンターテナー(男性が女性の声域を歌うこと)」と書かれるのに違和感がありましたが、日本でのキャリアをはじめて4年ほど経った今では、だいぶ少なくなってきました。
たとえば4年ほど前、僕が日本でのキャリアを始めるために受けた、ある大きなコンクールでは、応募資格は「ソプラノ・アルト・テノール・バリトン・バス」で、カウンターテナーが入っていなかったのです。問い合わせると、「規定にないから」ということで、参加自体を断られました。納得がいかなったので、もう一度交渉して、その規定にのっとる形で「男性アルト」として参加しました。そのとき、事務局の方に「カウンターテナーも『声楽』の一種です」と申し上げたことを覚えています。

日本のカウンターテナーへの先入観がひき起こす、そういう現代のグローバルスタンダードに合わない出来事を変えていきたいなと思っていますし、その後日本音楽コンクールでカウンターテナーとして史上はじめて優勝してからの活動で、すでに少しは変わったようには思います。その点では、歴史を創る使命感のようなものは感じています。

 

――なるほど・・・。実はわたしも「カウンターテナーは特殊だ」と思っていました。これからはそういった先入観を取り払っていきたいと思います。
ところで、受賞対象となったリサイタルのプログラムはどのように組まれたのですか?

 

藤木:僕、プログラムにはけっこうこだわるのです。その日の共演者の得意分野も考慮して考えます。
今回ははじめて京都でリサイタルをしようと思ったわけですから、京都ならではのことがやりたかった。最初は、前述の増田真結さんのオペラがきっかけでこういう話になったので、本当は、増田さんのオペラの中のアリアを1-2曲やろうと思っていたのです。

ちなみに、このバロックザールでのリサイタルをやることに決めたあと、リサイタルまでに共演の中村圭介さんとの京都での演奏機会を増やし、贔屓のお客さんも増やそうと思って、半年ほどかけて別のコンサートを何度か組みました。知り合いのほとんどいない土地で、自主企画リサイタルが赤字にならないほどにチケットを売るのもなかなか大変だと思ったので。

そのコンサートの打ち上げのときに、増田さんや中村さんと一緒に、彼らの友達で僕は初対面だった作曲家の清水慶彦さんもいたんです。その時に、このリサイタルをやることにした話をしたら、彼も「僕も曲を書きたい」という顔をした(笑)。増田さんも「私も新たに曲を書きたい」ということになって、「じゃあ、もう2人に任せるから、10分くらいの日本語の歌曲を作って」と頼んだのです。それから、これらの曲をリサイタルの核にして、まわりを組んでいこうとプログラムを考えはじめました。
今回いただいた賞の贈賞理由に、その仲間たちの名前もしっかり刻まれていたのがとてもうれしかったです。

ヴォーン・ウィリアムズは、特に関西ではあまりやられない曲だと思うのですが、僕は日本音コンのファイナルも彼の作品を含む英国歌曲のプログラムでまとめて優勝したし、そもそもとても好きな作曲家のひとりなので、是非関西で紹介したいと思ったんですよね。

 

――そんな経緯があったのですか!知りませんでした。会場のお客さまは、どの曲でもうっとりと聞き入っていらっしゃいましたよ。そんなお客さまたちが口々に仰っていたことが「ウィーン国立歌劇場と日本でどんな活躍をなさっているのだろう」ということでした。

 

藤木:2014/15シーズンにはじめて客演契約を結んだウィーン国立歌劇場と僕の契約は、複数年やシーズンごとではなく、プロダクション(演目)ごとの契約なのです。

年間に50演目以上のオペラを上演する劇場ですが、カウンターテナーの出番は数年に一度あるかないかです。だからカウンターテナーの専属歌手は彼らには必要がない。いまヨーロッパの劇場で、カウンターテナーの専属歌手を持つ劇場はほとんどありません。みんなゲスト(客演)で歌っています。新たな演目をやる場合は、新たにオーディションを受けます。

例えば2015年の契約は、2013年にウィーンの劇場のジェネラルオーディションを受けたとき「実はうちで15年にトーマス・アデスの《テンペスト》をやります。メインキャストは世界的スターカウンターテナーにもう決まっているが、カヴァー歌手をやりませんか?」と言われて最初の契約をしたわけです。その初演の稽古は6週間、公演は2週間で、8週間の契約です。その期間はもちろんウィーンにずっといます。ちなみに2015年は2シーズンに渡って、10週間くらいウィーン国立歌劇場で仕事しました。それ以外はウィーンの劇場からはフリーなので、その前月と翌月には東京や九州で歌っているし、京都でも歌ったし・・・ゲスト歌手として求められる場所に行って歌う、ということを積み重ねています。

 

――とてもお忙しくしていらっしゃる藤木さんですが、今後どのような夢をお持ちですか?

 

藤木:夢・・・うーん、夢っていうのは現実の積み重ねですよね。今ありがたいことに、色んな演奏の機会を頂いています。そこでひとつひとつベストを尽くすことが、より長く、より大きい音楽活動に繋がっていくのかなと思います。明確に言うと、世界中の大きな劇場では歌い続けたいし、日本でももっと歌いたいし・・・

 

――いま仰ったことは、すでに叶えていらっしゃることですね!

 

藤木:だから、夢は現実の積み重ねなんですよ。音楽家をやっている人々の夢って、最終的に「音楽で暮らしていきたい」ということですよね。でも特にソリストとしてやっていると、今年は音楽で食べられても、来年は食べられないかもしれないでしょう。

 

――「今年は大丈夫、でも来年は分からない」という状態を「怖い」とは思いませんか?

 

藤木:怖がっていたら動けませんよね。やっぱりリスクって絶対取らないといけないでしょう。僕はもう36歳なので、目的なく世界中をうろうろしているわけにもいかないのですが、やっぱりチャンスがあったら嗅覚と心の声に従ってそこに行かないといけない。

何でもそうですが、やってみても駄目かもしれないことの方が多いわけですよ。でも、100回のチャンスのうちの1回でもうまくいって、それが先に大きくつながっていくのだとしたら、やるしかないですよね。今やりたいことで今できることを、今やっておかないと絶対後悔しますから。だから、練習や勉強も含めて、毎日一生懸命やるだけです。

 

――それが難しかったりするんですよね。

 

藤木:生きていると色んなことがありますよね。例えば、自分や家族が病気になるかもしれない。明日、何が起こるかは誰にも分からない。健康で、音楽をすることが出来るってね、ぜんぜんあたりまえのことじゃないですよ。不自由なく音楽ができることに感謝したいと思っています。

(平成28年3月5日、青山音楽記念館・バロックザール)