Monthly Archives: 4月 2016

情報誌『ばろっくざーるVol.54』刊行しました!

情報誌『ばろっくざーるVol.54』が刊行されました。
今号は、2015年度青山音楽賞受賞者インタビューをはじめ、ミハイル・プレトニョフの特別インタビューも掲載しております。
「わたしはメロマーヌ」では、朝日放送アナウンサーの堀江政生さんが音楽と「MC」について語って下さいました。ぜひご覧下さい。
情報誌『ばろっくざーるVol.54』全面

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー⑦上野星矢さん(フルート・新人賞)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー最終回は、新人賞を受賞されたフルート奏者の上野星矢さんです。
まだお若いのですが、すでに国際的な活動をなさっており、日本を代表するフルート奏者のおひとりでいらっしゃいます。
インタビューではこれまでのキャリアのお話や楽曲に関するお話など、多岐にわたる内容について聞くことが出来ました。

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上野星矢 フルート・リサイタル(2015年7月25日(土))
演奏会後に残った幸福感と高揚感が、全てを物語っていた。上野のフルートは、ただ「素晴らしい」の一言。人々を思わず惹き付けるステージマナー、虹色に光る音色、卓越した技術、豊かな音楽性、どれをとってもスター性に満ちている。これだけ聴き手を興奮させ、喜ばせることの出来る若手演奏家はそうそういないだろう。プーランクのソナタで見せた軽妙洒脱な歌い回しは誰にも真似出来ないものであるし、《クリスタルの時》を献呈した上林裕子の「(上野のフルートは)すべてが生き生きと煌めく」という言葉にも頷ける。タファネルの幻想曲では、内門卓也の研ぎ澄まされたピアノ伴奏に支えられて、しなやかな息づかいと圧倒的な技巧を見せた。この類い稀なる才能を武器に、これからも世界中で活躍してほしい。ここに青山音楽賞「新人賞」を顕彰する。(2015年度第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

 

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――まず、フルートを始められたきっかけを教えていただけますか?

 

上野さん(以下、敬称略):地元の小学校の吹奏楽部で、たまたまフルートを始めたんですけど・・・

 

――いつごろ、フルートでやっていこうと思われたのですか?

 

上野:まぁ、小学校を卒業するときには「フルートを続けていこう」と思って・・・。
それで、地元の駅前にある街の音楽教室に通って、そこからまた新しい先生を紹介して頂いて、というふうにつながっていったんです。吹奏楽の中でフルートを吹いていたのは、小学校の3年間と中学校の1年間だけですね。

 

――じゃ、本当に自然な流れでフルート奏者を目指されたわけですね。

 

上野:そうですね、小学校の時にフルートの手ほどきを受けた顧問の先生の影響が大きかったですね。その先生のおかげで、フルートを続けていきたいなと思いました。

 

――なるほど・・・。ところでプロフィールを拝見していると、東京藝大に入学された翌年にはパリに留学されていますね。どのような経緯でパリに留学されたのですか?

 

上野:東京藝大1年の時に、ランパル国際コンクールで優勝したのです。19歳になりたての頃です。その時の審査員の先生方の中に、パリのコンセルヴァトワールで教えていらっしゃる方もいらっしゃって「こっちに来なさいよ」と言って頂いたんです。
その前から『留学したいな』という気持ちはあったんですけど、タイミングがなかなか合わなかったので、お誘いを頂いた時に「今だ!」と思って。

 

――ちなみに何という先生ですか?

 

上野:パリではソフィー・シェリエ (Sophie Cherrier、パリ国立高等音楽院教授) とヴァンサン・リュカ (Vincent Lucas、パリ管弦楽団首席フルート奏者、パリ地方音楽院教授) に習いました。

 

――大学1年の時に、よくフランス留学を決心されましたね。

 

上野:そうですね。でもそれまでも何度かは行ったことがあるんです。
あと、実は父もフランスで演劇を学んでいたので、フレンチ・コネクションがなんとなくあったんです。そういう環境もあって、いずれフランスには行きたいなと思っていました。

 

――東京藝大にはもう戻られなかったのですか?

 

上野:そうなんです。東京藝大は2年間しか休学出来ないというシステムがあったんですね。だからフランス留学して2年が経った時に、どちらで卒業するかという選択に迫られたのです。
色々考えたんですけど、結局パリで卒業しようと決めました。

 

――話は少し戻りますが、ランパルで優勝されてからというのは、生活が大きく変わったのではないでしょうか?

 

上野:そうですね。たくさんの人たちが僕の演奏に注目してくれましたので、自分の意識の高さが必要だったりとか、そういうことはありましたけど、プレッシャーはそこまでなかったですね。
やっぱり、自分の活動がより表に出るということが嬉しかったです。

 

――舞台に立たれた時に緊張やプレッシャーを感じることはないのでしょうか?

 

上野:まぁ、しますけどね。緊張するヒマもないくらい、音楽に集中しています。
逆に緊張する時っていうのは、集中出来ていない時なんですよね。

 

――仰る通りです。わたしも上野さんのリサイタルを実際に聴かせて頂いたのですが、張り詰めるような緊張感と集中力を感じました。

そういえば、上野さんのリサイタルにはお客さまがたくさんいらっしゃっていました。関西以外のご出身でいらっしゃる方々はみなさん口々に「集客が難しい」とおっしゃるのですが…

 

上野:最後に関西で音楽会をしたのは、確か3年前でした。関西ではあまり機会がなかったのですが、どこかでずっと「もう一度関西でやってみたいな」という気持ちはあって。
いつもたいてい名古屋止まりなんですよね。

この音楽賞の存在は前から知っていました。僕はピアニストの崎谷明弘君と仲良しなのですが、彼は2013年度に青山音楽賞新人賞を受賞しましたよね。
やっぱりそのニュースを知ったということが大きかったと思います。

 

――崎谷君が受賞した当時、けっこう反響があったように思います。というのも、彼はtwitterやfacebookをとてもうまく使いこなしていますよね。
それで受賞のニュースが一気に拡散された感じがします。

 

上野:そうですね。僕は関東から来て、自分とゆかりのない土地でリサイタルをするということで不安もあったのですが、結果的に受賞出来て本当に良かったと思います。
これからも、関西だけじゃなくて、関東からももっと音楽家の方が来られたら良いですよね。

 

――そうですよね。ところで上野さんの場合、集客はどうなさったんですか?

 

上野:それは本当に心配で心配で・・・やっぱり宣伝のしようがないんですよね。
だから僕はそれこそ、twitterやfacebook、HPなどを駆使してやりました。どうなることかと思いましたけどね。

 

――当日のプログラムはどうやって決められたのですか?

 

上野:もちろん僕自身が決めたのですが、音楽賞の新人賞の選考に関わるということもありましたし、あとは久しぶりの関西公演ということもあったので、まずはプログラムをあまり軽いものにしたくなかったんですよね。(自分の音楽を)出し惜しみしたくなかったんです。
いま自分が出来る、最大限のプログラムだったと思います。
フルートっていうと、だいたい軽いプログラムが多くて「あれっ、もう前半終わり?!」ということもよくあるんです。もちろん、全力で吹くと前半でとても疲れてしまうということもあります。
でも僕は、例えばピアノやヴァイオリンの公演と比べても見劣りしないプログラムを組みたかったのです。

 

――とても素敵なプログラムでしたよ。
今日の授賞式で演奏される曲はまた、あの時のリサイタルとは違う曲を演奏なさるんですね。
(授賞式当日、ドビュッシー≪シランクス≫と武満徹≪ヴォイス≫を演奏)

 

上野:そうなんです。今日は無伴奏で、ドビュッシーと武満を選びました。
どちらも好きな曲ですが、特に武満さんは、今年没後20年というメモリアルイヤーなのです。
彼はフルートの響きが好きで、フルートのための色々な曲を残しているんですが、その中でも《ヴォイス》という曲は少し特殊な曲なんですね。演奏中に、フランス語と英語で演奏者の声が入るのです。

 

――どのような言葉をしゃべるのですか?

 

上野:「透明」に対して話をしています。最初はフランス語で Qui va là ! Qui que tu sois, parle, tranparance!(そこにいるのは誰か!言え、透明よ!)と言って、次に英語で全く同じこと (Who goes there? Speak, transparence, whoever you are!) を「透明」に向かって語りかけるんです。

 

――フルートを吹きながら言葉を発するということは難しくないですか?

 

上野:大変といえば大変ですけど、それも武満さん自身がフルーティストという普段歌ったり声を出したりしない、吹いているだけの人がそういう状況に追い込まれた時に、どういう力を使うのかということも一つのコンセプトだったらしいですね。

 

――そうなんですか。それはとても楽しみですね。
ところで、上野さんの普段の生活を少しだけ教えていただけますか?

 

上野:こういうソロの演奏会をしたり、教えることもよくしますね。つい最近も台湾に教えに行ったんです。冬期講習会のようなものなんですけど。台湾は最近よく行っていますね。

 

――教育にも興味を持たれているとのこと、それはどうしてですか?

 

上野:自分がこうイメージする、理想の楽器の扱い方とか、音楽に対する向き合い方とか、自分の中で強く持ってきたつもりなんですね。
だから、人から「貴方は天才だ」とか「才能でやってきた」と言われるのが凄く嫌だったんです。単純に人よりも音楽のことを考えている時間が長いだけなんだよ、ということを自分で証明したいです。
また、自分でも苦労してきた分、テクニックのことでも同じ苦労している人に対しても何か手助けになることもたくさんあると思うので、これから日本のフルート界のさらなる発展に貢献するのは当たり前のことなんじゃないかなと思うんです。自分がただ楽しくやっていても、それだけでは仕方のないことだと思うんですよね。

 

――まだお若いのに立派だなぁ・・・本当に感心します。ところで上野さんは、音楽以外に趣味をもたれていたりするんですか?

 

上野:そうですね、今はあまりやらないんですけど、スポーツが好きです。サッカーとか好きですし、ヨーロッパでも週末に時間がある時にはやっていました。
最近はちょっと出来ていなくて、身体がなまっちゃっているんですけど。サッカー、今でもやりたいですねぇ。

 

――そうなんですか。スポーツ、良いですね。でもケガをしないように気をつけてくださいね。
それでは最後に、将来の夢を教えて頂けますか?

 

上野:常に自分の中で出来る最高の演奏していくということは当たり前のことなんですけど、それプラス、演奏会をやっていく中でフルートとか音楽をやったことのない人たちが自分の音楽によって新しい世界を見つけて、小さな子たちがフルートをやってみようかな、音楽をやってみようかなって思うきっかけを作れるような演奏家になりたいですね。

(2016年3月5日、青山音楽記念館・バロックザール)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー⑥ヴェセリン・パラシュケヴォフ&村越知子(ヴァイオリン&ピアノ・バロックザール賞)

今回、バロックザール賞を受賞された唯一のデュオ、ヴェセリン・パラシュケヴォフさんと村越知子さん。
インタビューの中でも話題に出ましたが、アンサンブルは「継続すること」に意義があると同時に、それが一番の難しさでもあると思います。
しかし、パラシュケヴォフさんと村越さんは2002年からデュオを組まれているということで、共演歴は10年超え!
その秘訣やアンサンブルの楽しさなどについて、お聞きしました。

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ヴェセリン・パラシュケヴォフ&村越知子:デュオ・リサイタル(2015年4月11日(土))
かつてウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていたパラシュケヴォフと村越によるデュオ・リサイタルは、格調高さを感じさせるステージであった。彼らは12年もの月日を共に演奏し、さまざまなレパートリーを手中に収めてきたベテラン・デュオである。受賞対象公演では、モーツァルト、プーランク、シューマンのヴァイオリンとピアノのためのソナタが演奏されたが、互いに思いやり、バランスに気を配りながら弾き進められていた。ウィーンの薫り漂うパラシュケヴォフのヴァイオリンに寄り添う形で、村越のピアノが語りかける。これこそが「デュオ」だと思わせるような演奏だった。今後もデュオとしてステージを重ねて欲しいとの願いから、ここに青山音楽賞「バロックザール賞」を顕彰する。(2015年度第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

 

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――この度は受賞おめでとうございます。まずは、お二人がデュオを組まれたきっかけを教えていただけますか?

 

村越さん(以下敬称略):私は、2001年度に青山音楽賞「音楽賞」(現「青山賞」)を受賞したのですが、その折に、藤原靖彦先生が「パラシュケヴォフさんという方が来年演奏会をしに日本にいらっしゃるのだけど、あなた伴奏してみない?と仰ってくださったんです。それで「ぜひやりたいです」とお答えしたのがきっかけです。

 

――まぁそうだったんですか!わたしはてっきりヨーロッパで出会われたものだと思っていました。

 

村越:いえ、違うんです。日本で出会いました。実は、パラシュケヴォフ先生の奥様は日本の方なのです。そのご縁もあって、日本によく来られているのですが、日本人のお弟子さんもたくさんいらっしゃって、これまでも日本でたくさん活動なさってきました。

 

――プロフィールの欄に「毎年継続して活動をしている」と記載されていましたが、アンサンブルの難しさの一つに「継続」があると思うのです。これに関してはどうお考えですか?

 

パラシュケヴォフさん(以下敬称略):アンサンブルは1回か2回、演奏会でやって「それじゃ、さようなら」というわけにはいかないです。そういう場合は「ヴァイオリン」と「その伴奏(ピアノ)」という関係性にしかなりません。
「室内楽」というスタンスで音楽をする場合、例えばモーツァルトとかベートーヴェンとかブラームスとかだと、「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」と書いてあって、ピアノ・パートも重要になってくるわけです。
だからこういう楽曲を「ヴァイオリン」と「その伴奏」で演奏しても形にならない。
必然として、同じ音楽を2人でやるということはどうしても時間がかかります。アンサンブルとして継続させないと意味がないのです。

これは、いわゆる「ヴァイオリン・ピース」と呼ばれる作品にもあてはまることだと自分は考えています。一般的に、ヴァイオリン・ピースのピアノは「伴奏」です。
でも、室内楽と同じスタンスで演奏しないと良い音楽は生まれてきません。
テンポと音を合わせて演奏すれば良いという問題ではなく、2人で「同じ音楽を演奏している」という意識が必要です。それには、時間が必要なんですよね。

 

――なるほど、そうですよね。お二人で予定を合わせるのはなかなか難しいことだと思います。

 

村越:私はイタリアに住んでいて、先生はケルン郊外にお住まいです。お互いそれぞれの生活がありますので、前もって「この週末は空いているよ」と連絡を取り合って練習しています。
主に私が飛行機に乗って、先生のところまで参ります。

 

――お二人がここまで長くデュオを続けてこられた「秘訣」はなんでしょうか。

 

パラシュケヴォフ:リサイタルには、一般的に滅多に演奏されることのないシューマンの2番のソナタをプログラミングしました。
このソナタのことはずっと前からやりたいと思っていて、ソナタ1番を書いて満足出来なかったシューマンが生み出したものこそ2番だと考えていました。
2番のソナタの方が良い音楽ではないかということを確かめたかったのです。
でも、その作業は一人では出来ません。一緒に勉強出来るパートナーが必要なんです。
それを実行するためには、自分とパートナーとの間にかなりの親密な信頼感というものがないと絶対に出来ません。私たちがこれまでデュオを続けてこられたのは、この絶対的な「信頼感」があったからこそなのです。

 

――演奏する際に信頼しきれるという関係はとても貴重なものだと思います。今回のリサイタルのプログラミングはどのように決められたのですか?

 

パラシュケヴォフ:まず、シューマンの2番のソナタを弾こうという思いがありました。
それを演奏する場合、どこに配置するか、何と演奏するかということを考えた時に、このプログラム(モーツァルト、プーランク、シューマン)になったのです。
シューマンがプログラムの要でした。

 

――なるほど。そのリサイタルを終えられた時のお二人の手応えというものはいかがでしたか?

 

村越:私は、ですが「うまく弾けたな」とは思わなかったですね。
今回は、いつもにも増してシビアな感じがありました。シューマンのソナタ2番をやろうと仰ったのは先生からだったのですが、そのシューマンにかける思いや挑戦というものを私を介して行われるわけです。だから、その日こうやってみて気に入らなかったら明日はああいうふうにしてみたり・・・という作業が続きました。そういう作業は私からすると、とてもシビアなものだったのです。全部弾き切った時はぐったりしていました。

 

パラシュケヴォフ:ベートーヴェンもブラームスも似たようなことがあるのですが、シューマンのソナタにおける問題というのは、楽器です。
ピアノは当時と比べると大きく変化しました。シューマンの2番のソナタには、ピアノ・パートとヴァイオリン・パートの音域が低いところで重なるところがあります。
当時のピアノと演奏すると全く問題がありません。
しかし、現在のモダン・ピアノで演奏すると、オーケストラのような大音量を出すことが出来るので、非常にバランスが悪いのです。そこが難しかったですね。

 

――なるほど。この日のリサイタルはたしか、ベーゼンドルファーのインペリアルを選ばれましたよね。音量のコントロールなどは難しくなかったでしょうか?

 

村越:響きは増しましたが、ドイツものを演奏する時にベーゼンドルファーは決定的に音色が合うのです。あとはペダルとかタッチとかでなるべくガンガン鳴らさないように、気をつけました。
特にペダルに関しては、本当に必要な箇所だけに留めました。もちろんこのようなことは、うまくいくときとうまくいかないときがあるのですが、このような方法でコントロールしました。

 

パラシュケヴォフ:お互いにとって心地よい「バランス」を見つけるのに時間をかけてきましたので、本番はとてもうまくいきましたよ。

 

――ところで、バロックザール賞受賞のニュースを聞かれた時、お二人ともどのようなお気持ちでしたか?

 

パラシュケヴォフ:このような賞は、若い人たちのためにあると思っていました。私はそこまで若くないので(笑)。私に下さる賞があるということが素晴らしいなと思います。

 

――この賞は年齢には関係なく、素晴らしいアンサンブルを聴かせて下さった方々に差し上げている賞なんですよ!
それでは、最後にお二人の今後の夢を教えて頂けますか?

 

パラシュケヴォフ:今は楽器を上手に弾く人はたくさんいますが、やっぱりそれが全てではないので、自分の命のある限り、音楽に対する愛、音楽で語ることの出来る愛に拡がりを持たせることの出来るような演奏を心がけていきたいです。

ところで、神さまが存在するかしないかって、人間はよく考えますよね。ナンセンスかもしれませんが、私は美しい音楽が流れている瞬間は神さまがいると思うのです。
これは音楽だけではなく、他のアートでもそうです。とても美しいことを、日本語で「神々しい」と言いますよね。美しい瞬間に、神さまが存在すると思うのです。
そういう気持ちを持ち続けることってとても大切なことだと思うのですよ。

 

――本当にその通りです。何気なく使っている「神々しい」という言葉について、目から鱗でした。素晴らしいお話をありがとうございました。またお二人のデュオを拝聴出来る日を楽しみにしています!

(2016年3月5日青山音楽記念館・バロックザール)

 

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー⑤周防亮介さん(ヴァイオリン・新人賞)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー第5回は、新人賞を受賞されたヴァイオリニストの周防亮介さんです。
受賞対象となった周防さんのリサイタルは、夏の終わり(8月29日)に開催されたのですが、エルンストの≪夏の名残のバラ≫という曲から始まるという、なんとも粋なプログラムでした。
一つ一つ言葉を選びながら、とても丁寧にインタビューに応じてくださった周防さん。
演奏だけではなく、ファッションもとってもお洒落だったのが印象的で、思わず「素敵なお洋服ですね!」とお伝えしてしまったほど。
そんな周防さんからは、ヴァイオリンを始めたきっかけやプログラムにかけた想いなどをお聞きしました。

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周防亮介 ヴァイオリン・リサイタル(2015年8月29日(土))
わずか20歳にして、驚くべきエンターテイナーである。おそらく周防のリサイタルを聴いた観客全員が、彼から終始目を離せず、その演奏に興奮したことだろう。周防は、並大抵ではない集中力と演奏技巧を備えているが、音楽の駆け引きも巧い。ベテラン・ピアニストの上田晴子にも臆すること無く仕掛ける上に、観客を喜ばせることにも長けている。プロコフィエフの《ヴァイオリン・ソナタ第2番》では、リラックスした音から攻撃的な音まで、幅広い表現力を見せた。プログラム最後のワックスマン《カルメン幻想曲》は特に秀逸。艶のある音色でたっぷりと歌った後に見せた超絶技巧に、審査員一同舌を巻いた。これら見事な演奏は、日々の誠実な努力の賜物だろう。さらなる飛躍を願いつつ、ここに青山音楽賞「新人賞」を顕彰する。(2015年度第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

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――新人賞受賞、おめでとうございます!
周防さんは今20歳ということで、まだまだお若いですが、ヴァイオリン演奏はとても堂々としていて感動しました。いつヴァイオリンを始められたのですか?

 

周防さん(以下敬称略):ヴァイオリンを始めたのは7歳だったんです。きっかけは、母がピアノの教師をしていたこともあって、幼少期から音楽は身近な存在だったんですけど、5歳くらいの時にオーケストラの演奏会につれていってもらうことがありました。
その時に休憩時間に「楽器体験」が出来るようなコーナーがあったんです。そこでヴァイオリンを初めて触らせてもらって、すぐに虜になりました。
それで両親に「習いたい」というふうに伝えたのですが、「ヴァイオリンは難しいから」となかなかやらせてもらえなかったのです。「家にピアノがあるじゃない」ということもあって・・・
でも、2年粘り続けた結果「どうせ難しいから、1ヶ月くらいで音を上げるだろう」ということでヴァイオリンを習わせてもらえたのです。

 

――2年も粘ったって、凄いですねぇ。よほどヴァイオリン演奏が楽しかったんですね。

 

周防:そうですね。でも、7歳でヴァイオリンを始めるということはとても遅いスタートなんです。早い人だったら2歳とかで始めますから。
初めに習った先生にも「プロとしてやっていくにはスタートがちょっと遅いから」というようなことは言われたのですが、自分としてはプロとしてやっていくつもりはなく、ただたんにヴァイオリンが好きだから始めた、という感じでした。
だから初めは、レッスンの時に先生からハナマルをもらうのが嬉しくて、次もハナマルをもらうために続けていたようなものでした。でも小学校4年生くらいから、コンクールを受けるようになったり、先生も厳しい先生に代わったりして、生活自体がヴァイオリン一筋になっていきました。
自然な形で「ヴァイオリン一本でやっていこう」と思えましたね。

 

――そうでしたか。練習は嫌いではなかったですか?

 

周防:それが、全く苦痛とかではなかったのです。小さい頃は、20分練習したら5分休憩して、ということを何回も重ねてやっていました。これは母親のアイディアなんですけど。
20分って、弾いているとあっという間なんです。だから本当に楽しく練習していました。

 

――今はどれくらい練習なさっていますか?

 

周防:今は・・・そうですね。うーん、学校がある日とない日とでは全然違うんですけど、だいたい平均して6,7時間やっていますね。

 

――おお~、起きている時間の半分くらいはヴァイオリンを弾いていらっしゃるのですね。すごいなぁ。
ところで2015年には出光音楽賞も受賞なさっていますよね。そして、同年に青山音楽賞の新人賞も受賞されました。2015年は周防さんにとって、どんな一年になりましたか?

 

周防:憧れだった2つの賞を頂けるなんて本当に思ってもいなかったので、受賞出来ると知った時は『本当かなぁ~』と思いました。1年間でこんなに大きな賞を2つも頂いてしまったから、一生分の運を使い果たしてしまったのではないか、と心配になりました(笑)

 

――そうなんですか!わたしも周防さんのリサイタルを聴かせて頂きましたが、バロックザールに来てくださって本当に嬉しかったですよ。しかもチケットは完売でしたね。

 

周防:あの日はお客さんももちろんですけど、ホールのみなさんもとても温かく迎えてくださったので、気持ち良く演奏することが出来ました。

 

――本当に素敵な演奏でした。あのプログラムはどういうコンセプトで組まれましたか?

 

周防:今回は上田晴子先生にピアノ伴奏をお願いしたので、上田先生と一緒にプログラムを考えました

 

――上田晴子先生とはどのようなご縁なのですか?

 

周防:初めてお会いしたのは中学1年の時だったのですが、いま師事している小栗まち絵先生のお宅にジャン=ジャック・カントロフ先生(Jean-Jacques Kantorow、62年パガニーニ国際コンクール覇者)がいらして、通訳として上田晴子先生もいらっしゃったのです。
その時に声をかけてくださって以来、本当によくして頂いています。

実は、リサイタルという形で上田先生と共演させて頂くのは今回が初めてだったのですが、地元京都で演奏する時に「上田先生とぜひ共演したい」と思って、実現しました。

エルンストは「夏の名残のバラ」というタイトルもあって、ちょうどこの8月29日も夏がだんだん終わっていくという時期だったので、タイトルとかけてみました。
あと、エルンストは個人的にすごく大好きな曲で、弾いていてすごく気持ちがいいのです。だから1曲目にしました。
2曲目と4曲目のドビュッシーとプロコフィエフのソナタは、これまであまり勉強してこなかった近代の曲です。これまで古典派とかロマン派とかばかり弾いてきたので、上田先生とお話していた時に「せっかくリサイタルをやるんだから、新しい曲もやってみよう」という流れになりましたし、自分自身も先生から新しいことを教わりたいと思って選びました。

 

――それにしても、大曲揃いでしたね。

 

周防:プログラムを組んだ時は「やりたい」と思って選ぶんですが、あとになって「こんな曲しなきゃよかった~」と思うことはありますね。

 

――準備は大変でしたか?

 

周防:そうですね。でも、上田先生と練習を重ねて、多くのことを学ぶことが出来た貴重な時間でした。

 

――特に印象に残っている曲はありますか?

 

周防:そうですね・・・うーん、プロコフィエフかな?それまでプロコフィエフってあまりやってこなかったのです。だから初めはあまりしっくりこなかったのですが、色々プロコフィエフについてお話を聞いたり本を読んだり、色々勉強をしたら、抑圧された背景の中にもちょっと憧れだったとかチャーミングなところとか面白いリズムだとか、そういうところが見えてくるようになりました。
上田先生が今まで色んな方と共演されてきた中で分かったことを、色々と教えてくださったということもあってすごく楽しかったなと思います。

 

――リサイタルが終わったあとの手応えってどうでしたか?

 

周防:「新人賞をもらえれば嬉しいなぁ」という気持ちはありましたけど、それ以上に関西でリサイタルをするということに喜びを感じていました。
これまで、あまり関西で演奏する機会を得ることが出来なかったので、地元京都で関西の方に自分の演奏を聴いてもらいたいという気持ちが強かったです。
だから、充実感を凄く感じましたし、リサイタルを開催して良かった、という気持ちでいっぱいになりました。

 

――ところで、将来的に留学を考えていらっしゃるとか。

 

周防:そうなんです。でもまだ「この国がいい」とかはなくて、漠然と、ヨーロッパで音楽の勉強が出来たら良いなぁとは思います。

 

――きっと留学から帰ってこられたら、もっと成長されているのでしょうね。楽しみです。
それでは、最後に将来の夢を教えてください。

 

周防:まだ20歳でこれから何十年もヴァイオリンを弾き続けていくと思うんですけど、これからもっと広い世界に出て色々なことやものを見聞きして経験を重ねて、色々吸収して、人としても音楽家としても、さらに大きく成長出来るようになれたら良いなと思います。

(2016年3月5日青山音楽記念館・バロックザール)

 

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー④辻本玲さん(チェロ・青山賞)

受賞者インタビュー4回目は、青山賞を受賞されたチェリストの辻本玲さんです。
実は辻本さん、青山音楽賞始まって以来初の新人賞・青山賞のW受賞者となりました。
(新人賞は公演時に25歳以下であること、青山賞(旧音楽賞)は26歳以上(以前は26歳以上35歳以下)であることが条件です)
ソリストとして大活躍中の辻本さんへのインタビューは、終始笑いっぱなし!あっという間の20分でした。

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辻本 玲:チェロ・リサイタル(2015年10月10日(土))
ダイナミックかつ豊かな音色でチェロを響かせる辻本の演奏は、いつ聴いても心地よい。受賞対象公演もその期待を裏切ることなく、伸びやかで抒情的な音楽に満ちていた。すでに日本を代表するチェリストとして第一線で活躍する辻本であるが、どのような曲でも弾き飛ばすことなく、誠実に音楽と向き合う姿が印象的であった。ブラームスのチェロ・ソナタ第2番や、プロコフィエフのチェロ・ソナタでは、辻本の魅力が最大限に発揮され、的確なテクニックと持ち前の美しい音色で観客を唸らせた。ピアニストの須関裕子のサポートも素晴らしく、辻本のチェロに華を添えた。青山音楽賞設立以来、初の「新人賞」(2007年)・「青山賞」ソロW受賞となった辻本の更なる飛躍を願い、ここに青山音楽賞「青山賞」を顕彰する。(2015年度第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

 

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――まずは受賞おめでとうございます。青山音楽賞始まって以来の「新人賞」「青山賞」W受賞となりましたが、新人賞を受賞された当時と比べて何か手応えとか感触とか、やっぱり変わりましたか?

 

辻本さん(以下敬称略):受賞したのって、何年前でしたっけ?

 

――けっこう前ですよね・・・2007年に受賞されています。

 

辻本:ああ、大学を卒業してすぐ後くらいだったんですね。そうですね、当時と比べて余裕がありましたよね。音楽的にも気持ち的にも余裕がありました。

当時は、ちょうど留学をしようかという時だったんです。フィンランドとスイスに、4年半行きました。それで、そのフィンランドの時に新人賞を受賞した時に頂いた研修費を使わせて頂きました。

 

――なるほど。8年ぶりにバロックザールに戻ってこられたきっかけは何でしたか?

 

辻本:東京の音楽事務所に入って4,5年経つんですけど、それからは東京で毎年リサイタルを開催させて頂いていました。
それとあわせて名古屋と、関西の会場でいつもコンサートをしていたのですが、今回場所を決める時に「久々にバロックザールで弾こう」と思ったのです。

 

――バロックザールでの弾き心地ってどうなんでしょうか?

 

辻本:例えばソナタとか、細部のディティールとか、そういうものを聴いて頂くにはちょうど良いホールかな、と。響きも良いですしね。

 

――そういえば、辻本さんが今回組まれたプログラムにもソナタが2曲(ブラームスの2番とプロコフィエフ)が入っていましたね。

 

辻本:毎年リサイタルをしていると、プログラミング出来る曲も少なくなってくるんですよね。

プロコに関しては、昨年4月に新日本フィルとプロコフィエフの《交響的協奏曲》を演奏したんです。その流れでプロコのソナタを入れようかなと思いました。

 

――そういう大曲の間にショパンの小品が入っていましたね。ピアノ曲のノクターン第2番をチェロ用に編曲したものでした。

 

辻本:僕のリサイタルって、最初はわりと真面目に弾いて、後半の最初は小品を弾いて、最後はまた真面目に弾くんです。そうすることによって、お客さんも聴きやすいと思うんですね。
チェロの小品といってもチェリストの中では有名でも、一般の方からすると知らない曲が多いのです。
でもショパンのノクターンだったら、皆さん知っているでしょう。

 

――色々と練られたプログラムだったんですね。
ところで、辻本さんはどのようにしてチェロを始められたのですか?

 

辻本:5歳上の姉がヴァイオリンをしていたということもあり、クラシック音楽は小さい頃から身近にありました。
僕は幼少期にフィラデルフィアというところに住んでいたのですが、そこにカーティス音楽院という有名な学校があって、その発表会を見に行った時にたまたまチェロを弾いている子がいたのです。
それを見て習い始めました。6歳くらいでしょうか。その前にピアノは習っていたのですが。

 

――6歳から始められて一度も「チェロをやめたいなぁ」と思ったことはありませんでしたか?

 

辻本:一回だけありますね。その時はただ、ひたすら遊びたかったんです。

 

――(笑い)

 

辻本:その時、宿舎に住んでいて、同い年の子がいっぱいいたんです。自分はチェロの練習をしているのに、その子たちは外で楽しそうにサッカーをしている。
それを見て「チェロをやめてサッカーしたいな」って思ったんですよね。
まぁ、一日でチェロを再開しましたけれど。

 

――チェロって一日どれくらい練習するものなんですか?

 

辻本:そりゃ、やばい時は一日中やってます。

 

――「やばい」時・・・(笑)なるほど。
辻本さんからチェロを学ばれている方たちに何かアドヴァイスをするとしたら、どんなことでしょうか?

 

辻本:「録音」ですね。練習を録音すること。
基本的に弾けない人っていうのは、練習の仕方が下手なんですよね。たいていの人っていうのは、録音するって言っても演奏会だとか、特別な時にしか録らないじゃないですか。
で、聴いてみて「あれーうまくいってない。まぁでも緊張していたから」とか言っちゃう
。でもそうじゃなくて、練習の仕方がマズイから上手くいかないんですよね。
ちょっとした練習の時でも録音して聴いてみて、どういう練習をしているからマズイのかということに気付く必要があります。

例えば音程が悪いという時も、自分でわーっと弾いている時って案外耳はシャットアウトしてしまっている場合が多いのです。
でも録音だと冷静に聴くことが出来ます。そこに座って弾きながら聴く自分と、客観的にその音を聴く自分との間に出来るギャップを少しずつ埋めていくことが大事なんですよね。

 

――仰る通りです。学習者の皆さん、「とにかく録音を聴け!」ですよ(笑)
ところで、辻本さんのリサイタルでは、1724年製のストラディヴァリウスを使用されましたよね。これはどんな楽器なんですか?

 

辻本:NPO法人のイエロー・エンジェル(株式会社壱番屋の創業者、宗次徳二氏が設立)から貸与された楽器です。イエロー・エンジェルは音楽家支援に取り組んでいらっしゃるところなのですが、若い奏者に良い楽器を貸与する事業もなさっているのです。

最初はこの楽器に慣れるのに大変でしたね。
前まではイギリスの楽器を使用していたんです。オールドなんですが、けっこう簡単にふわっと音が出る楽器でした。
今回貸与を受けたストラドはイタリアの楽器ですよね。銘器なんですが、圧力の入れ方ですとか、そういうことが前の楽器とは全く異なりまして、最初は全然音が鳴らなかったのです。
『これ、ほんまに銘器か?』と思いましたね(笑)
それくらい、自分で楽器を鳴らすことが出来ませんでした。でも一年くらい経つと、ようやく楽器のことも分かってきて、バランスも良くなってきましたね。

 

――楽器のことをあまりよく知らない方からしたら「ストラディヴァリウス」というだけで「特別に良い音が鳴る」と思いますけど、違うのですね。

 

辻本:年末にやっている格付けの番組※って見てはります?
(※テレビ朝日系「芸能人格付けチェック」のこと。楽器を隠した状態で、総額数億円の銘器と初心者用の楽器による演奏を聞き分けるコーナーがある)

 

――・・・はい、見ています。

 

辻本:あれね、絶対分からないですよ。
弾いている方々には申し訳ないけれど、普段弾き慣れないストラドとか演奏しても、楽器が鳴らないんですよ。意外と安い楽器の方が簡単に鳴っちゃうんです。

 

――仰っている意味、とてもよく分かります!

 

辻本:あとはモザイク越しに、楽器の色が濃いか薄いかで見分けたりね。

 

――(爆笑)

 

辻本:そうじゃないと、分かりませんよ!
例えばですよ、弾いている奏者が(フランク・ペーター・)ツィンマーマンだったりしたら、そりゃ一発で当てられますよ。でも普段から弾き慣れていない楽器だったり、自分の楽器じゃないものだったりすると、楽器は鳴ってくれないですよね。

 

――じゃぁ、毎回正解を言い当てるGACKTは・・・あれはヤラセなのかな。

 

辻本:彼はきっと「コツ」を分かってるんでしょうね。
高価なワインだって、「これは靴下の臭いがするぞ」とかで、きっと当ててるに違いない。

 

――靴下の臭いですか!(爆笑)

 

辻本:そういうもんでしょう?「(価格が)高いものはこういうクセがあるぞ」ってね。
僕はお酒が飲めないので分からないですけど。

 

――もっと面白いお話をお伺いしたいのですが、そろそろ時間ですので、最後に今後の夢をお聞かせ下さい。

 

辻本:・・・夢、・・・もっとチェロがうまくなりたいです。

 

――シンプルな夢ですね(笑)それ以上うまくなりますか?

 

辻本:なります。これからもっと経験値を積んでいきたいです。
オーケストラにも入ったので、これまで触れてこなかった作曲家の作品を演奏出来ます。
そういうところで得た経験や知識をソロ演奏に還元できたら良いなと思います。

(2015年3月5日、青山音楽記念館・バロックザール)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー③毛利文香さん(ヴァイオリン・新人賞)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー第3回は、新人賞を受賞されたヴァイオリニストの毛利文香さんです。
先日インタビューをお届けした山根一仁さんの幼なじみであり、現在カルテットも一緒に組んでいらっしゃいます。
毛利さんとお話して感じたのは、凜とした美しさと強さ。
インタビュー内容からもそれが伝わってくるのではないかと思います。

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毛利文香 ヴァイオリン・リサイタル(2015年4月18日(土))

素直で伸びやかな音楽を作り上げる毛利の演奏スタイルは、自然体であるために音の美しさが際立つ。その音色は清澄で、唯一無二のものである。また、若さを感じさせるエネルギーと共に、感性豊かな瑞々しさも感じさせる。バッハとイザイの無伴奏ヴァイオリン曲では、この音色の美しさや多彩さが存分に発揮されて、高度な技術を披露するだけではなく、奥行きの深い音の世界を構築していた。プロコフィエフのソナタ第2番では、ピアニスト河地恵理子の絶妙な後ろ盾もあって、新人の域を超えた卓越した技量と音楽表現を聴かせた。弱冠20歳であるが、すでに国際的舞台も経験しており、今後の伸び代を感じさせる新人である。一層の活躍を願いつつ、ここに青山音楽賞「新人賞」を顕彰する。(2015年度第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

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――さっき山根さんにインタビューをしていて富士急ハイランドの話になったのですが、「去年、文香ちゃんとも行った」と仰っていましたが。

 

毛利さん(以下敬称略):あははは!行きました、行きました。一緒に組んでいるカルテットのメンバー全員で行きました!

 

――「ドドンパ」というジェットコースターに乗ったら「自分だけムチウチになった」っていうお話をしてくれました(笑)

 

毛利:えー、そんなに重症だったんだ。知らなかった(笑)

 

――すごく仲が良いのですね。

 

毛利:そうなんです。6歳頃からヴァイオリンを同じ先生に習っているので、よく知っています。

 

――6歳から!毛利さんがヴァイオリンを始められたきっかけを教えて頂けますか?

 

毛利:父が大学でアマチュア学生オーケストラに入っていて、昔からヴァイオリンを弾いていたのです。今は全く弾いていないのですが、そういった理由で娘にもヴァイオリンをやらせたかったみたいです。自分は全然覚えていないのですが、3歳半くらいから楽器を始めたようです。

 

――それから今まで、一度も進路に迷われたことはありませんでしたか?

 

毛利:いやー、進路に関しては、迷うというよりも凄く時間をかけて考えましたね。高校は洗足の普通科に進んだのですが、色々考えましたし、師匠の水野先生とよく話し合ったりしました。大学に進む時も、たくさん考えましたね。

 

――プロフィールを拝見していると、桐朋学園のソリストディプロマコース修了と書いてありますが、これは大学ではないのですか?

 

毛利:大学ではありません。普通の学校と両立させて、ダブルスクール出来る音楽のコースです。だから、このコースを修了すると学士がもらえるとか、そういうものではないです。レッスン中心のコースですね。高校の時から通っています。

 

――へぇ、そういう選択肢もあるんですね。わたしからすると、本格的に音楽を学ばれながら普通大学である慶応大に進まれるってとても珍しい選択だと思います。時々いらっしゃいますけどね。

 

毛利:そうですよね!桐朋のソリストディプロマコースって、レッスン中心なのですが「必修科目」というものもあったのです。音楽理論だったり、西洋音楽史だったり。そういう科目を取らないと修了出来ないのです。
普通高校に行きながらそのような必修科目を取るのってけっこう大変でした。最短だったら3年で修了出来るのですが、もう1年通うことになりました。
大学受験の時、このようにソリストディプロマコースで音楽の科目を受講出来ていたので、普通大学で他のことを勉強しようかなと思いました。

 

――慶応大でドイツ文学を学びながら音楽活動を両立させるって、大変ではないですか?

 

毛利:勉強はぜんぜん出来る方ではないのですけど(笑)慶応大って色々な勉強が出来る場所でもあるのですが、色々な人に会えるというメリットもあります。視野が広がるというところが一番の魅力ですね。

 

―― 毛利さんは何年か前から、積極的に国際コンクールを受けていらっしゃいますね。課題曲だけでも凄い量だと思うのですが・・・

 

毛利:そうですね。でも、国際コンクールって色々な国から色んな人が集まってきますよね。そういう方達の演奏を聴いて刺激を受けますし、コンクールを通して色んな人たちと友達にもなります。
それに、ホストファミリーのおうちにホームステイをして、そのご家族と仲良くなることもあります。彼らとはコンクールが終わっても連絡を取り合ったりしていますし、色んなご縁を作ることが出来るのです。

あとは、課題曲がとにかくいっぱいあるので、それをどのくらいの時間でどのように自分で準備していくかということを考えるということも勉強になります。

 

―― 昨年、エリザベート王妃国際音楽コンクールも受けていらっしゃいましたよね。コンクール・レポートをいくつか拝見しましたが、プロセスの中で缶詰になる時間があるんですってね。

 

毛利:そうなんです、後にも先にも無い貴重な経験をしました。

ファイナリストが12人いて、1日に2人演奏する計算でファイナルが6日間続くんです。
ファイナルで演奏する、ちょうど一週間前から、ファイナリストたちは寮みたいなところにそれぞれ移されます。そこは新しい建物で、例えば自分に割り振られた部屋で演奏をしていても隣の部屋の音が全く聞こえないほど、防音処理がしっかりしてあります。ご飯はみんなで食べたり・・・。

コンクールというよりも、合宿みたいな感じでしたね。他のコンクールだったら、こんなふうに皆で一緒に一日を過ごすっていうことがないので、そこまで仲良くなったりはしないのですが、今回は皆で仲良くなりましたね。

 

――缶詰にされる目的って何ですか?

 

毛利:最後のファイナルでは、それぞれが事前に選択した協奏曲と、それとは別に7~8分くらいの新曲を演奏します。
この新曲はコンクールのために委嘱された曲で、その施設に入る時に初めてどんな曲かを知って、1週間かけて譜読みをして練習をするのです。

面白いことに、缶詰状態を作るために、携帯電話とかパソコンなど施設に入る際に全部没収されるんですよね。

 

――厳しいですね!新曲の情報が外に漏れないようにですか?

 

毛利:というよりも、この新曲に関して、コンテスタントたちが誰にも質問出来ないように、でしょうね。
でも、12人のファイナリスト同士で相談したりは出来るのです。一緒に練習することも出来ますし。
でも皆、だんだん疲れてきて、凄い勢いで練習するということはなかったですね。

とにかく、この新曲がめちゃくちゃ難しかったんですよ。音数が多くて、テンポも速いし、大変な曲でした。

 

――そんなに大変な曲だったのですか。プレッシャーとかで不眠になったりしませんでしたか?

 

毛利:私はなかったですね(笑)皆、それぞれもちろんプレッシャーはあったと思うのですが、本当に良い人ばっかりでした。
その施設の中でコンテスタントをお世話してくださっていた人のパソコンを使って、新曲を作った作曲家の方と2回ほど、お話する機会を頂きました。
コンテスタント皆でパソコンの前に集まって、画面に映っている作曲家に対して「ここはどう弾くのですか」、「ここはこんなテンポで良いんですか」などと質問するのです。そういう時間も面白かったです。

 

――毛利さんも質問しましたか?

 

毛利:私は自分から質問をすることはなかったです。他の人が質問した内容を聞いていました。
意外とそんなにたくさん質問が上がることはなかったです(笑)

面白かったのが、韓国人の友人です。その人はとても気が強いのですが、作曲家の方に「なんでこんな難しい曲を作った?!」と質問していました(笑)作曲家本人にそういうことを質問しているのが面白かったです。でも作曲家の人もとても良い人で「こんな曲をたった1週間で弾いてもらうなんて、ごめんねー」って言っていましたね(笑)

 

――確か、バロックザールでのリサイタルとエリザベートの日程って、近かったですよね。

 

毛利:そうなんです、だからコンクールの曲をリサイタルにも採り入れたりしていました。
コンクールの曲を一度ステージで演奏することが出来たので、良い予行演習になりました。

 

――リサイタルで演奏された曲は全部、コンクールで演奏されたのですか?

 

毛利:えーっと、ちょっと曲が変わったところもあります。
セミファイナルの課題が、リサイタル・プログラムを2つ用意しなければいけない、というものだったんです

 

――それは大変な課題!

 

毛利:それで、セミファイナルの1日前に審査員から「こっちのプログラムで弾きなさい」と指定されます。
だから、直前まで2つのリサイタル・プログラムを準備しておかないといけないのです。
ショーソンの《詩曲》は、準備していたけれど、指定されなかった方のプログラムに入っていたので、コンクールでは演奏しませんでした。
ちょっと色々と特別なコンクールなんです。期間も長いし。

 

――今聞いていても、準備が本当に大変だったと思うのですが、負担には感じなかった?

 

毛利:負担にはなっていると思うのですが、コンクールがあるのとないのとでは、気合いの入れ方が全然違いますね。
コンクールがあると、それに向かって曲を仕上げて・・・というリズムが出来ますので、自分も成長することが出来ます。
大きなコンクールはまだあるので、これからも機会があれば受けていきたいと思っています。

 

――コンクールとか演奏会とかの準備が重なっていく中で、気分転換などはどのようになさっているのですか?

 

毛利:普段はボーッとしていることが多いです。あとは友達と喋ったりだとか、外を歩いたりとか、寝たりとか・・・(笑)

 

――毛利さんの性格的に、追い詰められたりしないタイプなのですね。

 

毛利:あんまりないですね。周りもサポートしてくださっているので。

 

――緊張もあまりしない?

 

毛利:あー、緊張はします。でも、それはいつものことなので・・・コンクールの時はコンクールだと思わずに、いつもの本番だと思うようにしています。自分が納得して楽しく弾きたい、ということが一番の目標なので、そういう気持ちで演奏しています。

 

――ところで、去年から留学されているんですよね。

 

毛利:はい、昨秋からドイツのクロンベルク・アカデミーというところに留学しています。

 

――留学生活はどのような感じですか?

 

毛利:クロンベルクって、フランクフルトから列車で20分くらいのところにある、本当に小さな街なんです。正直言って、勉強するために住む場所、という感じではありません。すごく小さくて可愛い街ですが、観光は1日くらいでいいかなっていう(笑)

 

――なぜそこを選んだのですか?

 

毛利:一番の理由は、今ついているミハエラ・マーティン先生に習いたかったからです。
マーティン先生はケルンなど、いくつかの場所でも教えていらっしゃるのですが、その中でもクロンベルク・アカデミーを強く勧めてくださいました。

クロンベルク・アカデミーの一番の特徴は、マーティン先生のレッスンだけではなくて、国際的に有名な音楽家が来校してマスターコースをするのです。ヴァイオリンだけではなく、チェロやピアノなどの先生もいらっしゃって、室内楽のレッスンなども受けることが出来ます。それがとても良い経験です。レヴェルも相当高いですし。
弦楽器の生徒は20人くらいしかいないんですよ。でも彼らから受ける影響はもの凄く大きいです。

私がいま在籍しているコースは「ファーザー・マスター」といいう課程です。
ドイツにはバチェラー(学士)、マスター(修士)課程があるのですが、ファーザー・マスターは、演奏に特化した課程です。ドイツ語の授業と楽器のレッスン、アレクサンダー・テクニークという身体の使い方のレッスンなどを受けています。

マーティン先生がいつも学校にいらっしゃるわけではないので、何にもない時は「こんなに平和でいいのか」と思いますけど(笑)練習室の環境は最高ですね。
自分の中で気持ちをしっかりと強く持って、やるべきことを決めて実行していくことが出来れば、充実した学校生活を送ることが出来ます。

 

――留学生活中にホームシックとかにかからないですか?

 

毛利:あまりないですね。時々、演奏会などで日本に帰国していますし。あと、ドイツで一緒に住んでいる友人がいるので、一緒に料理をしたりして楽しく生活をしています。

 

――これから先、どのくらい留学する予定ですか?

 

毛利:最初留学を決めた時は2年間ということでした。慶応大の方を現在休学しているのですが、休学期間は2年と定められています。ですので、2年が経った時点で、一度慶応の方に戻って、半期で必要な単位を取ることが出来れば卒業出来ます。慶応大を出来れば卒業したいので、一度帰国して集中的に勉強します!

 

――最後になりましたが、これからどのような演奏家になりたいですか?

 

毛利:ありきたりなのですが、聞いて下さる方が「あぁ、またこの人の演奏会に行きたい」とか「あの人の演奏を聴きたい」って思ってもらえるような演奏家になりたいです。
あとは、ソリストとしての活動と並行して、室内楽の活動も行っていきたいです。
日本国内外で演奏会の機会を持てるようになりたいですね!

(2015年3月5日青山音楽記念館・バロックザール)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー② 山根一仁さん(ヴァイオリン、新人賞)

2015年度青山音楽賞受賞者インタビュー2回目は、新人賞を受賞された山根一仁さんです。
演奏時には鬼気迫る集中力で音楽を構築していく山根さん。
しかし舞台を一度離れると、その素顔はとてもユニークで楽しく、ヴァイオリン演奏と同じくらい魅力的な方でした。
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山根一仁 ヴァイオリン・リサイタル(2015年12月19日(土))

20歳という年齢を超越した高い完成度を感じさせる逸材である。山根の受賞対象公演では、バロックから近代といった幅広い時代のレパートリーの中で、筆舌に尽くしがたい演奏技術と音楽性を見せつけた。どの曲も素晴らしかったが、バッハの「シャコンヌ」における説得力に満ちた音楽解釈と張り詰めた美しさは、演奏会後も心に残った。ショーソンの《詩曲》では聴き手を魅惑的な世界へと誘い、サラサーテの《カルメン幻想曲》ではほとばしる情熱にホールが満たされた。また、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタでは梅村祐子のピアノの名演も相まって、山根の魅力が溢れんばかりのヴァイオリン・リサイタルとなった。世界へとはばたくヴァイオリニストになることを期待し、ここに青山音楽賞「新人賞」を顕彰する。(2015年度 第25回青山音楽賞授賞式プログラムより)

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――今回は受賞おめでとうございます。山根さんのことは、年末のジルベスターコンサートでも拝見しました!

 

山根:「東急ジルベスターコンサート」のことですね!ありがとうございます。

 

――バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏していらっしゃいました。とてもお忙しくしていらっしゃいますね。どれくらいのペースで演奏会をなさっているのですか?

 

山根:月に2,3回ですね。

 

――まぁ、大忙しですね。学生さんですよね?

 

山根:はい、昨年の10月からミュンヘン音大に在籍しています。

 

――そろそろ留学生活にも慣れてきましたか?

 

山根:それがですね、昨年12月にバロックザールでリサイタルをするために帰国して、その後も別の演奏会がありましたから、実は12月1月2月と日本にいたんですよね。結局、ドイツと日本の生活が半々になっています。今後もそういう生活が続きそうなのですが、なるべくドイツでの時間を増やそうとは思っています。何のために留学したかっていうと、ドイツの大学に通いたいということもあったんですけど、それよりもヨーロッパに住みたいという気持ちがあったんです。ドイツの空気を吸って、向こうの言葉を覚えて・・・

 

――ドイツ語は大変ではないですか?

 

山根:いやー大変です。12月にだいぶんと分かってきたな、と思ってたところでこっちに帰ってきたので、ちょっと忘れてきましたね。

 

――また向こうに行けばすぐに慣れますよ。それじゃ、リサイタルの前後はかなり忙しかったのですね。

 

山根:そうですね。

 

――どのようなきっかけで、バロックザールでリサイタルをしようと思われたのですか?

 

山根:きっかけは(毛利)文香ちゃんなんです。彼女とは6歳くらいからの友達で、カルテットも一緒に組んでいるんです。彼女が4月にここでリサイタルをして、それを見て知ったんです。それで夏にホールの申し込みをしました。京都でリサイタルをしてみたかったというのと、京都のお客さまに音楽を聴いてもらいたかったという思いがあったのです。

 

――そうなんですか。それにしても、今回新人賞を受賞されたヴァイオリニスト3人は年齢が近いし、皆さん活躍されている方ばかりで凄いですね。

 

山根:3人共、原田幸一郎先生に習っていましたしね。文香ちゃんとは6歳で知り合って、周防君とは小6の時に知り合いました。

 

――なんだかご縁を感じますね。ところで、山根さんの京都のリサイタルはお客さまで満員でした。横浜出身でいらっしゃるのに、集客力が凄かったですね。

 

山根:ありがたいことに、そうだったんです。完売で嬉しかったです。9月に京都市交響楽団と一緒に、秋の芸術祭オープニングコンサートに出演させて頂いたのです。ショスタコーヴィチの協奏曲を演奏したのですが、その時に僕のリサイタルのチラシを見て、リサイタルに来てくださった方もいらっしゃったみたいです。タイミングも良かったです。

 

――その時のプログラムはどのように組まれたのですか?

 

山根:いやーすごく悩みましたね。まず自分が今までやってきた曲も入れたいと思いましたし、10月に留学生活を始めたのでドイツの曲を入れたいとも思いました。これまでやってこなかった曲を留学先で勉強したんです。自分が避けてきた曲を入れました。例えば、ショーソンの《詩曲》とか・・・

 

――ショーソン、すごく良かったです。

 

山根:そうですか!良かったです。でも、プログラムの中で一番思い入れが強かった曲は何かと聞かれたら、バッハの「シャコンヌ」です。祈りに近いような、崇高な気持ちで演奏出来ました。ホールの響きにも助けられましたし。

 

――凄まじい集中力でしたよ。演奏中は何を考えていますか?

 

山根:何も考えていないんじゃないですかね。夢の中みたいな感じです。演奏中に「何か考えてるな」と思った瞬間に、もう集中力が切れてるんですよ。脳を動かしているのは動かしているんですけど、何も意識しないで意識するというか・・・意味不明ですね。

 

――何だか分かるような気がします。わたしはもともとピアノ専攻だったのですが、演奏中にどうしても緊張してしまうんですよね。お客さまが気になったり、自分のミスが気になってしまう。どうしても、演奏中に「何か」を考えてしまうのです。

 

山根:緊張することは大事ですよ。でも自信を持たないと。弾いている時は「自分の音楽が世界中で一番良い」と思って演奏しないと、良いものって生まれないと思うし。緊張感がないと薄っぺらい音楽になってしまいます。緊張することによって、普段練習している時には分からない1ミリくらいの違いも見えてくるんです。僕は毎回緊張しているし、京都でのリサイタルも・・・ショーソンが一番緊張していましたね。

 

――ちなみに、なぜショーソンを避けてきたのですか?とても素敵でしたけど。

 

山根:なぜでしょう。僕は14歳くらいから演奏会をしているのですけど、指もよく動くし、今日演奏するカルメン(サラサーテ)のような曲が得意だと思っていたんですよ。自分の持ち味はそれだと思っていました。でもやっぱり・・・「いまショーソンを弾こう」と思いました。

 

――ショーソンの難しさってどこにあるのですか?

 

山根:息の長さですね。レチタティーヴォのように人が語るように、一息もしくは流れるように、喋るのではなくて呟くぐらいに演奏するんです。それを音にするのは難しいです。あと、それを難しそうに聞こえさせちゃ駄目なのです。

 

――なるほど・・・普段、山根さんがどのように練習しているか、気になります。

 

山根:僕は練習があまり好きではないんです。スポーツが大好きなんです。野球、サッカー、テニス・・・スポーツ全般好きです。実際にするのはサッカーくらいですけど。ゴールキーパーしちゃったり。指をケガするだろ!って思いますよね(笑)

 

――たしかに(笑)

 

山根:今はする時間もないし、ケガをしたら怖いのでなかなか出来ないですけど、見るのは大好きなので全ジャンルに興味があります。

例えば、相撲って午後3時くらいからやっているんですけど、4時半くらいから強い相撲取りが出てくるんですね。それから締めの6時まで相撲を見て、6時から野球のプレーボールを見て、ということをしています。でもずっとスポーツを見ているだけだったら時間が勿体ないので、僕はそういう時間に一緒にヴァイオリンを弾いています。

 

――え?!観ながら?!目ではスポーツを見て、耳でヴァイオリンを聴くっていうこと?!

 

山根:まぁ、そうですよ。たまに目も耳もスポーツにいってしまっていることがありますけど。

 

――それは・・・珍しいお話をお伺いしました。

 

山根:えー、でもこのやり方で練習すると長続きしますよ。4時からは相撲、6時から9時は野球がやっていますから。結局4、5時間はヴァイオリンを触ることになりますよね。

 

――わたしもピアノ科時代、片手練習をしている時にもう片方の手で漫画を読んでいたことはありますが・・・

 

山根:あー、漫画は駄目ですねぇ。スポーツが良いんです。お笑いは練習しながらあまり見ないです。スポーツって耳を使わないし、観ていれば分かるじゃないですか。良い練習方法だと思うんだけど。

 

――(戸惑いの表情)これ、他の人におすすめして良い練習方法でしょうか・・・

 

山根:あははははは

 

――音楽とスポーツ観戦以外にやってらっしゃることってありますか?

 

山根:サイクリングが好きですね。身体を動かすことが好きですし、音楽一本になりたくないんですよね。人間として色々な経験をしたいなといつも思っています。遊ぶのも大好きなんです。そうだ、一昨日まで富士急ハイランドに行ってました。高校時代の友達8人と一緒に行ったんですけど、僕が全部企画して、ホテルを予約しました。普段こんなことしないんですけど、どうしても富士急に行きたかったんです!!

 

――楽しかったですか?(笑)

 

山根:もうね、やばかったです。

 

――絶叫系マシンも問題無く?

 

山根:大好きですね。行ったことあります?絶対行くべきです。2月29日から一泊で行ってきたんですけど、2月29日って4年に1度の「フジキュウ(229)の日」だったんです。それでね、入場料とかがめっちゃ安かったんですよ!

・・・すいません、音楽にまったく関係のないお話をしてしまって。

 

――ぜんぜん構わないですよ。楽しいです。

 

山根:あとね、日光の「いろは坂(48のカーブがある坂)」を自転車で登ったり。こういうことが、ヴァイオリン演奏にも生きてくるんです。ちょっとしたフレーズとか表情とか、練習以外の時に見た風景などがヒントになったりする。人間的に大きくならなきゃ駄目だなって思います。「ヴァイオリン1本の人間」にはなりたくないんです。友達と笑って飲んで、ということも自然に出来る人になりたいですね。

 

――それでは最後になりましたが、将来の夢を教えてください。

 

山根:音楽が大好きで、たまたまヴァイオリンという楽器を使って弾いていますが、これがもしかすると棒になって指揮者になっているかもしれませんし、将来どうなるか分かりません。ただ本当に音楽が大好きで、一生やっていくと思います。音楽って音を楽しむと書いて音楽ですよね。ソ連のプロコフィエフの冷たい音楽とか聴いたら、もちろん楽しめないとは思うんですけど、その曲を演奏出来る喜びとか、そういう心を常に持っていたいです。これからもヴァイオリンを一生弾いていきたいと思います。

(2016年3月5日青山音楽記念館バロックザール)