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曲目解説を公開しました。(5/26 開催「クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース シューベルト~別れと旅の歌曲集」)

2024.04.25

“とっておき”のプログラムをよりお楽しみいただけるよう、公演に先駆けて音楽学者の堀 朋平さんによる曲目解説を公開しました。
ご来場前にぜひご覧ください。

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 三大歌曲集とならぶオリジナルの“旅路”を――。 

 あまたのシューベルト歌手たちが挑んできた道だ。言葉の深層までえぐるクリアな発声と、ときに楽譜の指示を超える柔軟なアプローチで世界を牽引してきたクリストフ・プレガルディエン。比類ない弾性と即興性をほこるパートナー=ミヒャエル・ゲースを得て、老練の歌手は今なお歩きつづける。

 今回のプログラムは、彼らが20年以上も前に作りあげて共演してきた“とっておき”。凝った曲順と、移調によるスムーズな曲の接続によって、ひとつのドラマのように全体が作りこまれている。そこに安易なカタルシスはない。むしろ森の閉域にあって、なんども旅立ちをくりかえしては違った風景と出会う……そんな永遠のループを楽しんでいるかのようだ。

  《冬の旅》と同じ24曲が織りなす世界について歌手は多くを語らない。ささやかなガイドとなることを願って、あえて何曲かのグループに分けながら、その旅程をたどってみたい。


恋人と別れ、さっそうと馬を駆る男。星明りに照らされた森で安らかな死を迎え、幸福な鐘に送られる――。
 
 1.《逢瀬と別れ》
は20歳のゲーテ(1749-1832)が少女フリーデリケへの思いを語る名高い詩。その燃え立つような逢瀬と告別を、25歳のシューベルトは馬の疾風を模して一気に描ききった。まもなく旅人を2.《星》の明かりが包む。詩人ライトナー(1800-90)は、日常のおだやかな想いをよく綴ったウィーンの人。「タン、タタ」のリズムと、「神との親密な対話」をあらわすと当時いわれた変ホ長調の響きが、万華鏡のような転調をともないつつ星々の運行をたたえる。最晩年の作だ。
 3.《夜曲》の詩人は、憂うつな大親友マイアホーファー(1787-1836)。作曲家より10歳上である(プレガルディエンはこの詩人の歌曲だけですばらしいCDを編んでいる)。その圧倒的な言葉の力が、竪琴のしらべにのって、森に分け入った老人を永遠の眠りに誘う。ヨーロッパにあって4.《弔いの鐘》は教会から広く響きわたり、どんな人をも等しく包み込んでくれる。詩はウィーンの同時代ザイドゥル(1804-75)による。微細な変奏によって描かれる静謐な“時”は、後期シューベルトの到達点だ。

2度目の旅立ちはきわめて切迫している。その歩みを運命づけるのは、故郷喪失者の不幸――。
  
 こんな曲をシューベルトは20歳前に書いてしまった。のちにベケットらの実存主義者に愛されたのもうなずけるが、生前もっとも広い共感を呼んだのも5.《さすらい人》だった。100年後に明治日本の青年をとらえた煩悶にもつうじていよう。この苦悩にオアシスがつづく。ゲーテの詩による6.《さすらい人の夜の歌Ⅰ》は18歳で作曲された。「甘き平安」を請うラストでは、日本人の心にすっと触れる五音音階に耳を傾けたい。
 また嵐がやってくる。7.《ヴィルデマンの丘で》は、5つ下の女性を偏執的に愛して早世した詩人シュルツェ(1789-1817)の想いがつまった一篇。3連符による出口なき惑いは、翌年の《冬の旅》にも通じている。
 そんな妄想が、森では鬼火のような精霊の姿を見せるのだろうか? マッティソン(1761-1831)の詩にもとづく8.《亡霊の踊り》につづいて、翌年に作曲された9.《魔王》は、古代ゲルマンのハンノキにやどる精霊を意味する(ゲーテ詩)。大人には見えない霊の誘惑で死にいたる少年に、18歳のシューベルトは自分をみたのだろう。「お父さん!見えないの?」の叫びはしだいに登りつめ、ついに3回めで最高音(2点ト音)へ……この恐怖の瞬間にプレガルディエンの声も照準している。

人を死にいざなう魔王のささやき。これと同じ変ロ長調で、大いなる慰めがつづく――。
 
 さきほどのオアシス(☞6)と対をなす詩とゲーテ自身が位置づけた10.《さすらい人の夜の歌Ⅱ》では、遥けき山岳から木々の梢まで、視線が大きく移りかわる。前奏のリズム「タン、タタ」は“彼岸”をあらわすシューベルトの十八番だ。さきほどの嵐(☞7)を呼び返しつつ、失恋によってこそ自分は歌えるのだと意を固める11.《あこがれ》(ザイドゥル詩[☞4])と同じ3連符で、12.《ミューズの子》が闊歩する。
 前半の円環を閉じる本作は、旅立ちの第1曲《逢瀬と別れ》と同じ手稿譜に残された歌曲。永遠につづきそうなシューベルトの音楽づくりは、ゲーテの思想を反映したものだ。翼のはえた足で飛びまわる神々(ミューズ)の子は、身軽すぎるから恋人といつになっても休らえないよ――いわば神の“全能”と、人間への“嫉妬”がテーマなのだ。

***

また馬を馳せ、男は旅立つ。のびのびと、神と一体になる幸福があふれている――。
 
 ゲッティンゲン近くの眺望地13.《ブルックの丘で》を詠んだのは、あの偏執的なシュルツェ(☞7)。だが苦しみさえも爽やかに歌いとばし、男は駆けぬける。その神々しい変イ長調でつづく14.《夕映えのなかで》は、あの世とこの世をつなぐ赤光への讃歌。詩人ラッペ(1773-1843)は名もなき教師だった。

神々しい“自然”をたたえる夕映えは、切なく苦しい“人生”の歌へ――。

 15.《憩いない愛》は、ゲーテの詩に18歳で付曲された。愛の苦難に耐える者には「命の冠」(黙示録2・10)がさずけられるのだ――言葉の勢いをそのまま写しとった、音楽も“休みない” 1分半だ。塔にとらわれた狩人の悲哀を歌う16.《囚われの狩人の歌》は、ヨーロッパ中で大ヒットしたW.スコット(1771-1832)の歴史劇『湖上の美人』(1810)の独訳にもとづく。小説はいつも作曲の大いなる源だった。次はドイツで最大の人気をほこったベストセラーから。17.《私は家の戸口へそっとしのび寄っては》はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』に出てくる老いた竪琴弾き――じつは近親相姦の大罪を犯している――の嘆きを歌う。19歳にして、老人の痛みにここまで寄りそう作曲家だった。

孤独を友に、ふたたび森に歩みだした旅人。つれあいは、月と虫――。

 「さすらい」の煩悶は人びとを惹きつけた(☞5)。だが「どこにも出口がない」からこそ「どこでも故郷」なのだと開き直ることもできるだろう。ウィーンで若者の人気をほこった気鋭の哲学者F.シュレーゲル(1772-1829)の詩による18.《さすらい人》と、ザイドゥルの詩による19.《さすらい人が月に寄せて》は、そんな“ポジティヴな”さすらい人を体現している。不滅なる詩人の象徴=コオロギを友とする20.《独り住まいの男》も、隠遁を楽しむユーモアをもっている。これもラッペ(☞14)の詩。ピアノの左手でひょうきんに跳ねる足の長い虫と、しずかな緑を好む男――ふたりはやがて《冬の旅》のラストのように共鳴しあうだろう。

人生の船出と、一生を駆ける馬車。そして心の奥へ――。
 
 荒波にめげぬ力強い21.《舟人》と、一生を3分間に凝縮した22.《御者クロノスに》。詩人はそれぞれ、親友マイアホーファー(☞3)と人生の達人ゲーテ。どちらも作曲家として自立しようとする20歳前に書かれた。
 クライマックスは、最晩年の歌曲集《白鳥の歌》から抜きだされた23.《影法師》。ハイネ(1797-1856)の詩は、かつて自分を捨てた恋人の故郷をめぐる一編だ。みずからの傷(トラウマ)を死にいたるまで抉ってゆく心の衝動――20世紀にフロイトが反復強迫とよんだもの――が、わずか4音のバスによる変奏にまで切り詰められた。じぶんの影法師=ドッペルゲンガーと出会った男は、ラストで安らかな死をむかえる。
 この息づまるロ短調と反対のムード(ロ長調)で24.《夜と夢》が全体を締める。悪夢を癒すやさしい夢のように。ホラーや悲劇につうじたウィーンの美学者M.コリン(1779-1824)の詩によるこの曲では、おぼろな意識がやがて明澄な眠りに落ちるかのような転調がおこる。現実のできごとは夢の戯れにすぎないのではないか? そんなフロイトの明察を先取りするごとく、心の奥深いところに触れる作曲家だった。

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堀 朋平(Tomohei HORI)/音楽美学
国立音楽大学大学院修士課程音楽研究科修了。東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程修了(文学博士)。国立音楽大学・九州大学非常勤講師。住友生命いずみホール音楽アドバイザー。『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年)により令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論部門)受賞。演奏家との対話や、他分野の知と交わるやわらかな音楽研究をこころざしている。

2024年5月26日(日)「クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース シューベルト~別れと旅の歌曲集」
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