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「小菅 優 ピアノ・リサイタル」曲目解説を公開いたしました

2021.12.18

 

小菅 優さんが、今回のリサイタルのために書き下ろした曲目解説を事前に公開いたします。
コンサートを楽しみにされている皆様、是非ご覧ください。

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Program Note      小菅  優

 2017年から4年間に渡り、「Four Elements」というプロジェクトに専念してきました。エンペドクレスの四元素理論をもとに、あらゆる時代の作曲家にインスピレーションを与えた四つの元素、水、火、風と大地にまつわる作品を取り上げました。絵画的な描写に限らず、元素がメタファとしてメッセージや宗教的観念などを表すストーリーに魅せられ、各作曲家の個性や作曲家同士の関連性、歴史的背景を探っていくのは、実りある経験でした。

 このプロジェクトの要素を振り返りつつ、本日のリサイタルの曲目を考えました。

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 前半はフランス・パリを中心に活躍したフランクとドビュッシー、そして2人を敬愛していた武満徹の作品を演奏します。

 武満徹は戦後、アメリカ人が音楽を流すラジオのチャンネルを開設したときに、セザール・フランク(1822-1890)「プレリュード、コラールとフーガ」を聴き激しい感動を覚え、それは「平和の歌、祈りのようなもの、幾多の辛酸をなめたあとの希望のようなもの」だったと語っています。
 「プレリュード、コラールとフーガ」は、ベルギーで生まれパリで活躍したフランクの晩年の作品です。フランクはバッハやベートーヴェンの脈を受け継ぎ、古典派の形式を保ちつつ、新しい作風を開拓していきました。
 最初はバッハの平均律クラヴィーア曲集のようなプレリュードとフーガから成り立つ作品を試みたそうですが、その二つをコラールで繋げることに決めます。コラールのメロディがこの3章を結合していて、そしてフーガのテーマのため息のようなモチーフも3章に渡って現れます。
 プレリュードは組曲の前奏曲の形式を持ち、流れるような音形でメロディが支えられ、そしてそのテーマに答えるように、フーガのテーマが嘆きのように現れます。徐々に流れは激しくなっていき、消えゆくとコラールへと続きます。コラールは3つのパートに分かれ、断固と定められたものを表すようなテーマは、現れる度により堂々と宗教的に歌われます。優れたオルガン奏者だったフランクらしいオルガンの響きを垣間見せながら作品は進んでいきます。短い移行部分のあと、フーガに入ります。徐々に険しい道のりを進むように展開され、クライマックスに達すると、コラールのテーマがプレリュードのモチーフと共に、まるで予言する天使の声のように現れます。段々と声が密集してくると、それにフーガのテーマも加わり、全てが結合し天国的なロ長調に落ち着きます。そして最後は希望に溢れる鐘の音が鳴り響き、締めくくられます。

『「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜中に驟雨(しゅうう)があると、
翌日は昼過ぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。
他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりつけているので、
その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭のいい木でしょう。』
大江健三郎『頭のいい「雨の木(レイン・ツリー)」』より

 武満徹(1930-1996)は水、雨をテーマにする一連の作品を書いていますが、この「雨の樹 素描」は、大江健三郎の短編小説『頭のいい「雨の木(レイン・ツリー)」』に登場する上記の一節に触発され、「内的に捉え、音楽的プランに置き換えた」(武満徹によるプログラムノートから)作品です。単なる描写ではなく、宇宙を循環する水のメタファとされるこの雨の樹。武満ならではの音楽の余白や間、ジャズを思わせるハーモニーや広大な宇宙を感じるような神秘性から、まるで雨一滴一滴が人間の歴史を語り、そしてさらに人間が小さな存在に感じるような宇宙、魂の奥深くの見知らぬ世界までを循環しているように感じます。

 クロード・ドビュッシー(1862~1918)は19世紀から20世紀の境において最も重要なフランスの作曲家で、独自のハーモニーと音楽的語法で印象派の画家や作家が追求した理想を音楽で描いた作曲家です。そしてフランス音楽の伝統をしっかり土台として持ちながら、ワーグナーやムソルグスキーなどの影響も受け、常に新境地を拓き続けました。数多いピアノ曲の中の集大成ともいえるのが、この前奏曲集です。第一巻(12曲)は、1909~1910年、第2巻(12曲)は1913年に書かれました。今回はFour Elementsプロジェクトで取り上げたものから、水、火や風の描写に五感が刺激される作品を選曲しました。
 「野を渡る風」(第3番)は速い六連音符が駆け巡り、軽やかに風が野原を吹き抜ける様子が想像できます。激しく荒れ吹く西風が想像できる「西風の見たもの」(第7番)は、アンデルセンのメルヘン「楽園の庭」から着想を得ていると言われています。登場人物の一人「西風」は、ワイルドな性格ですが、恐ろしい、荒れ狂うような風景が想像できます。「沈める寺」(第10番)は、ブルターニュ地方の伝説をもとに書かれていて、「霧から徐々に表れる」と楽譜にあるように、海底に沈んだイスの街の寺院が姿をあらわし、聖歌や鐘の音がきこえてきたかと思えば、また沈んでしまう様子を神秘的に表しています。
 そして第2巻「霧」(第1番)は無調に近く、霧に覆われてぼやけている奇妙な世界が異様な雰囲気を漂わせています。「花火」(第12番)は前奏曲集第2巻の最後の曲ですが、原題の「Feux d’artifice」(模造の火)からわかるように、花火はもともと人工的に発明された大砲からきています。7月14日の革命記念日に打ち上げられた花火がピアノのあらゆる音色で煌びやかに再現されますが、最後にフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」のメロディが、遠くから、暗い影のようなベースのトレモロの響きに隠れつつ現れます。翌年から始まる第1次世界大戦を暗示するかのように、戦争との関連性が皮肉にも感じられます。

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 後半はソナタ形式をもとに自由な構想で描いた、27歳のベートーヴェンのソナタ「悲愴」、シンフォニーの研究を積み重ねていた時期の25歳のシューベルトの「さすらい人幻想曲」を演奏します。

 ベートーヴェン(1770-1827)のソナタ作品13「悲愴」1797年から1798年の間にウィーンで書かれました。ハ短調は、交響曲「運命」、最後のピアノソナタ第32番の1楽章など、悲劇的かつドラマチックに逃れられない運命を嘆くような、ベートーヴェンにとって特別な調です。
 第1楽章はグラーヴェ(重々しく)ではじまり、深々とした和音が嘆きのように鳴り響き、激しい感情の嵐を想像させるアレグロの主部へと移り変わります。この二つのパートが展開部にて発展し、そのまま再現部へと続きます。グラーヴェのテーマが最後に繰り返されると、その嘆きは耐えきれない痛みのようにクライマックスへと達し、またやってくる嵐のまま断固としたハ短調の和音で終わります。2楽章は変イ長調で慰めのよう。しかし、個人的な感情を超越して人間の情けや儚さが坦々と訴えてくるようです。徐々に極めて天国的な世界に入り、神がこちらを見下ろしているような宇宙空間さえ感じます。3楽章はハ短調に戻り、シンプルなメロディを持つ一方、1楽章の嘆きの要素が組み込まれており、ときには独立した左手が右手のメロディと対話を交わします。テーマが3回目に現れ、ハ長調に移り変わると、天国的な要素が再び訪れ、コーダへと導きます。一層ドラマチックにモチーフが圧縮してくると、2楽章の調の変イ長調を一瞬振り返り、そして1楽章の断固とした和音を思わせながら締めくくられます。3つの楽章が完璧に1つの広大なストーリーを織りなしており、ベートーヴェンの初期の転機を代表するにふさわしいソナタだと思います。

「ここでは太陽が冷たく感じる
花は枯れ、人生は終わりへ向かっている、
そして彼らの話は、空虚な残響に聞こえ、
どこでも俺はよそ者だ。」
シューベルト:歌曲「さすらい人」D489 (D493) (リューベック作詩)より

 フランツ・シューベルト(1797-1828)は1822~23年、苦境の真っ只中でした。歌曲(リート)の作曲は絶えず進むもの、器楽曲、特に交響曲の分野では未完成のものが続き、なかなか完成した作品が残せません。いつも支えてくれていた友人たちもそれぞれの道へ散らばってしまい、その上、1822年秋から梅毒の症状に苦しみ、1823年には長期間の入院をしています。
 その1822年に交響曲第7番「未完成」の作曲を取りやめて作曲した幻想曲「さすらい人」D760は、長年の勉強と葛藤を経てできたのがわかるような傑作です。アレグロ、アダージョ、スケルツォ、フィナーレと、交響曲のような構成で成る一方、1816年に書かれた歌曲「さすらい人」D489 (D493)のリズムのモチーフが最初から最後まで用いられ、4つの楽章がソナタ形式のように提示部、展開部、再現部、コーダにも捉えることができ、一貫性を保っています。一つのドラマが力強く、想像力豊かに、そして斬新に描かれているのです。
 アレグロは、生き生きと放浪の旅が始まり、オーストリアの山脈が見えてくるようですが、リリックな第2テーマはノスタルジックに思い出を振り返るようです。アダージョは上記の歌曲「さすらい人」の詩をもつ中間部のモチーフがそのままテーマとして用いられ、その苦境を耐え忍ぶような寒さと孤独感に襲われます。長調になると、シューベルトらしい夢想的な平和の世界が表れ、現実では味わえない幸福に浸ります。スケルツォではさすらい人のモチーフがワルツに変わり、ウィーンらしい優美で心地よい雰囲気が漂ったと思ったら、激しい嵐へと展開し、フィナーレで最初のモチーフが力強いフーガとして現れ、ハ長調の溌剌とした明るさの中(これは虚偽の明るさでしょうか?)、苦境の山を全力で乗り越えようとするかのような葛藤が最後まで続きます。

 「さすらい人」のモチーフからは、放浪の旅の中、自由を掴みたいという気持ちが常に伝わってきます。それは当時の抑圧的な社会への反感を、こっそりと表していたのかもしれません。そして終生孤独だったシューベルトは、常に何かを探し求めている自分の姿を「さすらい人」という架空の人物に映したのでしょうか。

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 今、私たちは芸術にとって難しい時代を歩んでいると思います。今回取り上げる作品は、様々な時代に、あらゆる世界に生きた作曲家によって生まれました。しかし、どの作曲家も芸術の本質を守るために戦ってきて、そのおかげで幸い、素晴らしい作品たちが現代までたくさんの音楽家により演奏され、受け継がれてきています。私たちも今だからこそ本物の芸術を大切にし、音楽の本質を探り、訴えていかないといけないのかもしれません。何故なら、芸術は私達の心を豊かにし、社会のためになくてはならない存在だからです。その素晴らしさに感動し愛を注ぎ、皆様と共有することが今日も幸せでなりません。

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2022年1月8日(土)「小菅 優 ピアノ・リサイタル」公演情報・チケット購入情報は⇒こちら